人間はずっと自由な時間を手に入れるために戦ってきました。そして先進国の現代人はその夢をかなり叶えました。ところが、その結果生まれた『退屈』を恐れるようになりました。実は「◯◯をするための時間が欲しい!」と心から願っている人は実は少なくて、ほとんどの人は自分が本当の望んでいることは何なのかも自覚しないまま、趣味や娯楽に興じているのかもしれません。

 

百田尚樹 (週刊新潮5月21日号『相対性理論』)

 

このところの週刊新潮の連載のテーマがコロナ自粛と関連した「退屈」だったのだが、これがなかなか面白かった。

4月下旬の「不要不急の外出」を控えて自宅に籠もる人が何をしているのかという話題の中で、最近ネット通販大手で売れている商品というのが「ジグソーパズル」だそうだ。

 

「ジグソーパズル」というのは、昔も今も究極の「時間つぶし」のアイテムだから、コロナ自粛の最中に売れるという意味は理解できるのだが、僕なんかもう45年はジグソーパズルなんてやっていない。

特に子どもの頃は実家に15匹も猫がいて、ちょっと隙を見せた瞬間にパズルがグチョグチョに荒らされていた…(笑)なんてことが何度かあったため、それ以降ジグソーパズルに挑戦した記憶がない。

 

1枚の絵をわざわざバラバラのピースにして、元通りに復元していくという作業は、かなり根気がいるものだし、僕のようなせっかちな人間には向いていない。

最初から完成したものを買えばいいじゃないかなどと考えてしまう方だから、ジグソーパズルのファンからしたら「お前は全くこの楽しみを理解していない!」と怒られてしまいそうだ(笑)。

 

このあたりのことを百田氏はこう書いている。

 

「何もしないで過ぎていく『死んだ時間』を、ピースと格闘して完成と同時に達成感を味わうことで、『生きた時間』にすることに意味があるのです。しかし、それは本当に『生きた時間』と言えるのでしょうか」

 

「今、自分が仕事や娯楽としてやっていることも、結局は巨大なジグソーパズルみたいなものじゃないだろうかと思ったのです。そして結局、それは完成しないままに人生を終えるのではないかとーーー。」

 

 

僕の周囲にいる同年代もしくはそれ以上の男性諸氏の娯楽といえば、「酒」「ゴルフ」「カラオケ」である。

むかしのサラリーマンの3大趣味は「ゴルフ」「カラオケ」「麻雀」だったが、最近は雀荘の数もめっきり減ってしまい、麻雀人口

が減っているのが分かる。

僕は悪い子どもだったので、麻雀や花札、パチンコは中学で卒業(笑)、ゴルフは「オヤジのやるもの」として絶対にやらなかった。

 

こうした「娯楽」はあくまでも『時間つぶし』である。

なんで「時間つぶし」なのかといえば、「退屈」だからだ。

そして現代人は「退屈」=「何もしない時間」というものを非常に恐れる。

 

常に「何かしていないといけない」という強迫観念。

スケジュール帳がやることでびっしり埋まっていないと心配になってしまう人間も多いが、それこそ「空白」=「何もしない時間」=「恐怖」なのだと思う。

 

「これこそ自分の趣味」というのならいいと思うのだが、それが「やりたいこと」ではなく、「何かをやらなければ」という恐怖にかられて時間を埋める行為なのだとしたら、それは時間の浪費だ。

冒頭の百田氏の言葉が指摘するように「自分が本当にやりたいことを自覚していない」からこそ、大切な時間を「退屈しのぎ」に使ってしまう原因なのだと思う。

 

コロナ自粛の中、皆さんは「退屈」でしたか?

それとも楽しい「時間の使い方」を発見されました?