「デヴィッド・ボウイが出演する映画であれば、世界中の音楽・映画関係者が見るだろう。その映画の音楽を作曲すれば、自分の実力を世界中にアピールする最高の機会になる。そう考えた」 

坂本龍一(山口周『アーティストに学ぶ超一流の仕事術』)

 

「YMO」がワールドツアーを行ったのが1979年。

 

横一直線のテクノカットに真っ赤な人民服姿の細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人が、淡々と演奏するのとは逆に、ロンドン、パリ、ニューヨークなどの客たちがえらく盛り上がっていたのを見て、かなり驚いた。

 

さらに翌1980年に開催されたワールドツアーは、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』という番組で衛星生中継もされ、ロサンゼルスの客の盛り上がる様子を見て、「遂に日本のバンドもここまできたか」などと誇りに思ったものだ。

 

 

最近は毎年5組〜10組くらいの日本人がアーティストがワールドツアー」を行うようになったが、YMOがワールドツアーを行って以降30年、国内のロック・ポップがJ-POPと呼ばれるようになり、音楽マーケットが巨大化したことで、98%の日本のアーティストが本人やマネジメントも国内志向に陥り、ワールドツアー行おうなんて考えもしなくなってしまった。

内向き志向んお始まりだ。

 

 

坂本龍一という人は「仕事選び」がうまい。

だから「世界の坂本龍一」になれた人だ。

 

YMOが絶頂期に入ったとき、坂本さんには相当数の作曲依頼が舞い込んだらしいが、それらのほとんどを断っている。

そんな時、大島渚監督から映画『戦場のメリークリスマス』への出演依頼を打診され、「作曲もさせてくれるのなら出演する」と条件を出して、俳優として出演したのだが、その時の考え方が本日の言葉である。

 

 

『戦場のメリークリスマス』は 日本、英国、オーストラリア、ニュージーランドの合作映画で、当時大人気だったビートたけしも出演、さらに主演がデヴィッド・ボウイが主演だったこともあって、かなりの話題となった。

そして坂本さんが作曲した音楽は英国アカデミー賞の作曲賞を受賞

 

これがきっかけとなり、ベルナルド・ベルトリッチの『ラストエンペラー』の音楽制作&出演も果たし、日本人初となるアカデミー賞の作曲賞を獲得した。

 

ここで坂本龍一の名声は頂点に達することになったのだ。

 

すべての仕事に全力で取り組むことは不可能だ。

どの仕事を引き受け、引き受けないか、という選択と集中が肝心だ。

そして引き受けた仕事には全力で取り組む」ことが、成果と評価につながる。

 

もし坂本さんが、YMO全盛期に当時の日本のTVや映画の音楽制作、他アーティストへの楽曲提供を選んでいたら、「世界の坂本龍一」は存在しない。

 

山口周氏は、坂本さんを例に出して、「仕事選び」のポイントを2つ挙げている。

 

それは「成長」と「評価」である。

 

成長とは、その仕事を引き受けるうえで、どれくらい自分が成長できるかという視点。

 

多くの人は「ラクにこなせる仕事」を選びたがる傾向があるが、そんなことを続けていても成長できるわけがない。自分を成長させる「チャンス」というのは、「難しくてめんどくさい」と書かれている仕事だ。それを素通りしてしまったら、成長するチャンスを逃してしまう。

 

評価とは、その仕事がパワーのある人の目に留まるかどうかだ。

坂本さんの場合でいえば、世界のデヴィッド・ボウイが出演するのであれば、当然世界中の音楽・映画関係者の目に止まるだろうと考えて引き受けている。

逆にいえば、パワーを持つ人の目に触れることのない仕事をいくら頑張っても評価は上がらないのだ。

 

よく「頑張っているのにチャンスが来ない」とか「頑張っているのに評価されない」と嘆く人がいるが、「こうであって欲しい」という願望と現実をごっちゃにしていれば、いつまで経っても自分が置かれている状況は改善されない。

地道に頑張ることは大切だし、努力しなければ成功はしない。

 

肝心なのは、誰が評価してくれるのかを考えて、努力をする方向を選び、選んだら全力を投入する、という戦略を持って仕事をすることだ。

 

ちなみにベルトリッチは坂本さんに「『ラストエンペラー』の音楽は1週間で仕上げてくれ」と言われ、断ろうかどうか迷った末に「2週間ください」と申し出て引き受け、不眠不休で仕上げた後、過労がたたって入院している。

だが、入院するほど集中して努力を投じたことが、結果的にアカデミー賞受賞につながり、現在に続く世界的な評価へとつながっていく始点となったわけだ。

 

仕事選びに戦略を持たないと、「頑張っても報われない」という状況からはなかなか抜け出すことはできない。

 

坂本さんの成功は「戦メリ」を選択したことだと山口氏も御本人も考えているが、もしかするとテクノという日本では誰もやっていなかった音楽をやることを選択しなかったら、ワールドツアーも実現していなかったのでは、と僕は考えている。