「欲深き人の心と降る雪は、積もるにつれて道を失う。」 

高橋泥舟(たかはしでいしゅう)

 

高橋泥舟という人は 幕末の武士なのだが、あまり有名ではない。だが勝海舟、山岡鉄太郎(鉄舟)とともに〝幕末三舟〟の一人として讃えられているお方でもある。  

 

どんな時代であっても、「我欲」が強すぎると道を踏み外すことになる。

だが、「欲」を全て捨ててしまうと、人間はみな悟りを得た仙人みたいになってしまうので、人生を楽しむ上では、それも面白くない。確かに平和な世の中にはなるだろうが、人類の進歩は常に人間の「欲」が創り出したものでもあるのだから、人間にはある程度の「欲」は必要だ。

 

さて、「欲」とはいったい何なのだろうか?

辞書で調べてみると『 ほしがること。自分のものにしようと熱心に願い求めること。また、その気持ち 』とある。

 

「欲」と聞くと、日本人は「欲望」とか「欲の塊」といった言葉を連想し、どこがダークなイメージを持ってしまう。だが、辞書で調べた限りでは、ダークな部分が少ないように思えるのだ。

 

だから『 欲=悪 』という考え方は、いささか早急のように思えなくもない。欲がすべて悪いことだとは一概には言えないし、弘法大師空海も現世の欲は肯定していた。

 

例えば人間の根源欲求の一つである「食欲」。肉体を持っている人間としてモノを食べたいという欲は当たり前だし、逆に食欲が無ければ餓死することだってある。身体を、そして健康を維持するためにも〝食欲〟は無くてはならないものだし、睡眠欲や性欲も、これまた然り。睡眠に対する欲求もまた、人が生きていく上ではなくてはならない欲求の一つだし、動物として子孫を残すためには性欲も必要だ。

このように「欲」というものは、人が生きていく上で欠かせないもののはずなのだが、何かと言葉の響きには後ろめたいイメージもあるのが「欲」という言葉だ。なぜ、ダークなイメージがついているのであろう?冷静に考えてみれば『 食欲が悪い 』、『 睡眠欲が悪い 』という言葉は聞かない。しかし、よくよく考えてみると、我々がダークなイメージをい抱く場合に使われる「欲」は、同じ「欲」でも「強欲」とか「私欲」「物欲」といった「我欲」だ。

 

確かに『 強欲:非常に欲が深いこと 』『 私欲:自分一人の利益だけを考える気持ち 』『 大欲:非常に欲の深いこと 』『 物欲:物や金銭を自分のものにしたいという欲望。物や財産への執着心 』というように、こうした「欲」は、あまりいい意味ではない。同じ「欲」とつくのに、食欲、睡眠欲、性欲は生きていく上では欠かせない欲求なのにだ。

お気づきの方もいると思うが、悪いほうの欲には『節制がない 』、『 他人のことを視野に入れない 』この二つが大きなウエイトを占める「我欲」。食欲も適度であれば悪いものではない。しかし、無節操な食欲は卑しいと言わざるを得ないし、『 自分が満腹になればいい 』といった〝自分さえ良ければが先行する食欲〟は、卑しいの一言に尽きる。つまり二つが起因となる場合は、歓迎されざる欲となってしまう、ということだ。

「貪欲」という言葉があるが、こちらはいい意味でも、悪い意味でもよく使われる。『 貪欲に知識を吸収する 』というのは、いい意味で使われます。がしかし『 あの人は金に貪欲なヤツだ 』という場合は、悪い意味で使われる場合が多い。貪欲という言葉にも、いい場合と悪い場合がある。

 

『 貪欲に知識を吸収する 』ことにおいては、誰にも迷惑をかけない。つまり、他人に何ら迷惑をかけておらず、ある意味『 他人のことを視野に入れている行動 』ととることが出来る。しかし、『 あの人は金に貪欲なヤツだ 』といった場合、往々にして、『 他人はどうであれ、自分は… 』といった、他人軽視の考え方が見え隠れしてしまう。

もちろん、節制が無いということも見え隠れしてしまう。同じ欲でも、『節制がない 』、『他人のことを視野に入れない(自分さえ良ければ…) 』の二つに起因したものは、〝よろしくない欲〟となってしまう。

高橋泥舟の言っている、〝欲深き〟はこの二つを指していると思う。

すなわち『 節制がなく、他人のことを視野に入れずに、自分さえ良ければいいと考えている 』。これが、高橋泥舟の言う〝欲深き〟だと思う。

 

その欲深き人は、どうなるのか?降る雪と同じように、その欲が積もるにつれて道を失ってしまうことになる。欲深き人の欲(もちろん悪いほうの欲)が積もれば積もるほど、雪と同じように道が見えなくなってしまう。人としての本来歩むべき道を見失い、しまいには道から外れてしまう…。そう高橋泥舟は、言っているのだと思う。