「和を以て 貴しとなす」 聖徳太子


今夜は聖徳太子の「十七条の憲法」の中の最も有名な言葉である。

よくこの言葉は「日本人は単一民族だからこそ人の和を大切にしよう」と解釈されるが果たしてそうなのだろうか。


何かを成し遂げようと思うとき、他人との調和を守ることは大切だと思うが、人と摩擦を起こさないように自分を曲げたり、妥協して安易に済ませようという関係ではいけない。切磋琢磨できるような人間関係を築かねば、素晴らしいものは生まれないからだ。

一見矛盾しているように聞こえるが、調和というのは、異なる色や異なる形のものが集まって、ひとつの美を創り出すことだ。

 

音楽でいえば、ドラムにキーボード、ベースにギター、そしてボーカルと、みな別々の音色の楽器を操りながら、ハーモニーやグルーブを創り出すことだし、詞、曲、アレンジ、コーラス、音全体のバランスが整ってこそ素晴らしいサウンドとなる。相手の領域を侵すことなく、自身のパートに専心していると見ることができるバンドほど解散することなく長続きしている。そう、演奏以外にも精神的なハーモニー(調和)をずっと奏でられるグループだけが生き残れるのだ。

 

よくぞ1400年も前に、現在でも通用する普遍的な言葉を考え付いたと思う。さすが聖徳太子だ。

そんな聖徳太子の肖像がお札から消えて以降、日本の経済はおかしくなった。そろそろ聖徳太子の正体をはっきりさせ、再びお札に戻した方がいいのではないかと思っている。


今週は聖徳太子の謎についての本を読んでいるが、聖徳太子という人物が本当に存在したのか、別の人物のことを聖徳太子」として後世に残したのか、それは確固たる証拠が出てきていないのではっきりしない。

ただ、太子が建立に関わった大阪の四天王寺には、創建時から「太子の手印」というものが残されており、20年くらいまでは一般公開されていたそうで、四天王寺の近所に住んでいた婆さんが、それがどんなものだったかを証言している。この内容はかなりヤバいので、知りたい方だけ個別に連絡をいただければ話をしたいと思っている(笑)。

 

 

2016年3月31日記述