パウロ・コエーリョの「アルケミスト」のように
1999年からの自己のスピリチュアルな旅を振り返って、
最近ユングなどのアルケミー関連の本を改めて読んだこともあって
これが不思議と昔なら難解だったものが
すーと頭に入ってきて
今さらながら色々と読んでしまいました。
錬金術は卑金属を金属に変える一攫千金のように
化学的手法の前身ではなく、
自己と向き合い、自己を理解することによって
他者理解に繋がる。
内面の旅は外面への旅、外界の理解へ至る。
自己を見ることは心理学の本質、
個我と言う概念こそが心理学の要であると
ユング心理学の考え方ですが、
改めて錬金術や結合の神秘などを読むと、
19年の歳月を振り返って
なるほどと納得してしまいます。
ニグレド=黒化から始まり
自己の影を見る、闇を見る、
闇の中の闇を見て、再生の為の死がある。
さらに意識と無意識や精神と物質
内なる男性性と女性性など相反するものが混沌として
カオスの中をさまよう時、
やがて認識を経て分離に出会う、
分離があれば結合もある。
自らの尾を食むウロボロスのように
二元性を超えて一元化へと
意識は二元性だけど無意識は常に一元性だ
自己の中に深く降りて行くことで上へと至る。
黒化は虹化になり白化へと、やがて赤となって昇華する。
キリストの赤、自らのパッションを生きる為に
錬金術は精神的変容でもあり、
人生の真理、宇宙の真理、
自己の様々な面が理解され統合されて行くプロセス。
スパイラルのごとく繰り返される面もあり、
究極は自己の純粋な質と出会うこと、
そしてクイントエッセンティア第五の要素が発顕される。
自己と向き合うことは骨が折れることだけど
あまり真剣に成り過ぎずプロセスを楽しむと良い。
いまは魂たましい=楽しい
人生を楽しむことだと理解している。
これは超古代史セミナーの坂井洋一先生から教わったこと。
美comingが主催する第五回目のセミナーが
9月6日(金)午後7時よりあります。
この度のテーマは「徐福」2200年前に
不老不死の霊薬を求めて渡来した人、各地に伝説が残ります。
場所は神楽坂、赤城神社の近くです。
詳細は追ってご案内いたします。