高校生の息子は

運動系の部活動に所属。


夏の大会を最後に引退を控えていて

そのために

親たちは各種サポートを兼ねて

グループ分けし、毎年伝統として

活動することになっているらしい。


去年のうちに

私が振り分けられたのは

制作物のグループだった。


今年の制作をやりたいのか

やりたくないのか

リーダーから制作の

グループLINEで意思を問われて、

「シーン……」

としてたから


「やらない年があってもいいのでは?」

と、第一声を私から発した。


正直、何回も(わざわざ!)集まって制作して

最後は燃やされる運命なら要らなくない?

これが私のホンネ


「シーン……」としてた割には、

私のひと声から

「私はやりたい」「私もやりたい」


なんじゃ、、やりたいんかいゲロー


とりあえず制作の方向に。

自分の意見は、

やらないという意見を出しつつも

中立という軌道修正しやすいような

第一声を発して

いたため、手伝ったけれども。。


なんだかんだ

合計2つ、、作ることになった。。


1つ完成するまでの間に

「リーダーの強い完成理想図」

が強いことが判明。。。


遠回しに素材やカタチについて

難しいだろうと意見をしても

「頑張ればいける」

「やってみたい」


という。。


「決まってんのか。。

もはや相談じゃないんだな…」


2つ目の制作に入る時も

やり取りがLINEであることから

ますます私の気持ちが堕ちてくる…


申し訳ないけれど、

完成理想図から譲らない態度が強行すぎて

もう協力する気持ちになれなくなって

参加を見合わせている…


しかし、、

なんだかんだ、作業日に

グランドに来ている

有志の母が手伝っている。。


ほんとに、、そういうの

最初からリーダー以外、有志にすれば

「係なのに行けてない…」

とモヤモヤする人間が

生まれないと思うんです。。