LGBTの問題に限らず、クリスチャンとしての生き方に疲れるときはありませんか?
多分それは、人に期待しすぎているからということではなく、クリスチャンとして生きることの本質に立ち返れるチャンスなのかもしれません。
クリスチャンは、自分こそが正しい、正しいことができているという錯覚に陥りやすいと私は考えています。
自分は正しいという錯覚に陥りやすいからこそ、下手すると上から目線にクリスチャンじゃない人に対して、してしまうことがあるかもしれません。
聖書は、素晴らしい書物ですが、下手すると世の中を限定的に見てしまう危険性があると思います。
サタンは聖書の言葉を使って、イエス様を荒野の訓練のときに攻撃しました。
そのように、クリスチャンを盲目にさせる危険性があると感じています。
クリスチャンの世界は、守られている反面、クリスチャンの中の交わりではわからない苦しみ、痛みの世界がわからないところがたくさんあります。
そういうことに気付いている日本人クリスチャンは残念ながら、限られていると思います。
言い過ぎかもしれませんが、日本が語る福音は時々、当事者の声を聞かずに、聖書ではこう言っているでしょという上から目線で語る傾向が強いように感じます。
その傾向があるから、日本のクリスチャン人口は伸びないのだろうと考えています。
聖書的な考え方とは何かと思う時点で、すでに考え方が上から目線になっていると思います。
虹ジャムに行くと、神様の愛とは何なのか、人とは何か、いつも考えさせられます。
LGBTに限らず、社会で苦しんでいる人々の声に耳を傾けない限り、日本の教会における将来は暗いといえるでしょう。
(原文ママ)
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