2つめ
人から理解されたり、味方してもらえたときのうれしさ。
自分は周りとは違う、皆が普通に楽しめている行事が、
部屋割りやフロ・トイレのことばかり気になったり、
性別で分かれた分担に参加するのが苦痛だったり・・・
そんな中で、誰かひとりでも、「こういうのほんとは嫌なんだよね?」と、
気づいて声をかけてくれたりすると、すごく特別なうれしさがあります。
僕はトランスジェンダーで、ずっと「女」扱いされるのがしんどかった。
でも、会ったときに男だと思ってて、「実は」ってカミングアウトしても
変わらず男として接してくれたり、
逆に、最初は女だと思ってたけど、つきあってるうちに男同士だな!って
言ってくれるようになったり、
そんな友達が段々できてきて、
これも、トランスじゃなかったら体験できない嬉しさ。
どんな人でも、自分を100%わかってくれる人なんてなかなかいないと思うし、
性別のことは別にその人のアイデンティティのすべてじゃないけど、
普段の生活であまりにも自分の認識するセクシャリティと
違うあり方で生きることを強いられていると、
そうじゃないってわかってもらえることは、
自分の中のかなりの部分をわかってもらえたような感覚があると思うんです。
FtMでオペも戸籍変更も済ませたある友達が、
「もう一度生まれ変わるとしてもこのセクシャリティがいい」
というようなことを言っていました。
僕はまだそこまで言い切れる境地に達していないけど、
でも彼の言いたいことと、僕が今日書いたことは同じです。
LGBTは人との間でつらい思いもいっぱいするかもしれないけど、
人からもらえる愛もそれ以上にスペシャルなものになるんじゃないでしょうか。
3つめはまた別記事で(^^