11月9日(木)、土佐清水市立市民文化会館にて、
「令和5年度土佐清水市戦没者追悼式」があり参列させてもらいました。
終戦の1945年(昭和20年)からもう78年が経っていること、戦争の体験者が極めて少なくなっていること、また戦争体験を語れる方がさらに少なくなっていることなどを噛みしめながら、思いを馳せました。
78年という時間は2世代では届かない、3世代、4世代にもかかるような長い年月。
僕ら40代は、すでに親世代は戦後生まれです。
戦争体験の話はおばあちゃんからいろいろとお聞きしました。
おばあちゃんは、あまり僕ら孫たちには積極的に戦争当時の話をする方ではなかったですが、僕らが聞いた時には答えてくれるような方でした。
食べ物がなくて、芋ばっかり食べていたので、今でも芋はあまり食べたくない。母親が作る芋料理がおいしく作ってくれて、美味しいけど、芋はやっぱりあまり食べたくないがよ…と言ってくれたときの陰った表情は今もよく覚えています。
食べるものがなかった時に、広島に軍事工場へ勤めている時にお腹が減って、なんとかお金を集めて買ったお好み焼きが本当に美味しくなくて、それ以来お好み焼きを食べることをしなかった。けど、母親が作ったお好み焼きが美味しくて、「あの時のお好み焼きが嫌な思い出過ぎて、食べるのが嫌やったけんど、お母さんのつくるお好み焼きは美味しいねぇ」とニコニコと僕らに笑っていたおばあちゃん。この話は僕ら孫には1度しか言ったことなかったのではと思います。けど、あのおばあちゃんの切ない笑顔があって、忘れれない思い出です。
そんなことがあって、僕もおばあちゃんに、おばあちゃんらの世代に対して、積極的に戦争のお話を聞いたりせんかったことがありました。
僕らには戦争体験をした”身内”がおりましたが、自分の子どもたちには、すでにひいおばあちゃんはおらず、実体験を聞ける方はおりません。
そういう意味では、我々世代が次の世代にしっかりと伝えていかないと、次世代にはあの戦争のことは伝わっていかない。
教科書で読む、歴史で学ぶってことも大事ですが、地元のこと、身内のことを良く知る意味では僕らが伝えていかないかんことやし、これはすごく大事な事やと思います。
ほんの少しずつでも、少しずつでも、子どもたちに戦争の話をしていきたいと思いました。
この日の運営等をご尽力いただいた市福祉事務所職員さん、ありがとうございました。