哲学は資本主義を変えられるか(竹田青嗣著) | 本のブログ

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本書のオリジナルは2009年に筑摩書房より刊行された「人間の未来」、これに加筆修正して、2016年にKADOKAWAより改題の上文庫版化したものが本書。

 

竹田氏の著作の中には、哲学を比較的わかりやすく教えてくれるようなものもあり、そういう本を選んで読んでいたと思う。

しかし、そういう哲学の本とは、久しく離れていたのだが、最近、古書として、しかも文庫版で、棚にあったので、少し懐かしくて手に取った次第だ。

 

内容は表題のとおり、現在の資本主義にある欠点を修正して、良いシステムに変更できるのだろうか・・・というもの。

近代の資本主義は、普遍交換、普遍分業、そして、普遍消費のサイクルにより、新しいモノを作り続けていくシステムであり、この根底には人間の飽くなき「欲望」が基本としてある。

この欲望をモノで満足しているうちは、闘争が起きないのだが、これが停滞するなどして崩れると、闘争状態に陥る可能性が高くなるとするのだ。

「三つ子の魂百まで」かどうかは私としてはよくわからないのだが、子供がグズるとな何かを与えてあやしたりするのだが、子供によっては、さらに、グズってもっと新しいモノを要求する者もいる、こういう風に欲望がエスカレーションするの傾向があるのが人間で、なんとなくでも満足させていれば(抑圧=同調圧力もひとつの手段)、とりあえず平和だが、不満が貯まるようだと社会が危なくなるとする。

(なんか、最近の日本みたいだね、危ないね)

 

それでは、その欲望を満足させるために、新たな財を作り続けられるかというと、そこには、リアルな資源の制約がある。

また、資本主義を統制せずに放置すると、米国のような(超)格差社会が助長される。

だから、その資本主義の良いところと、悪いところを見極めて、持続可能な、民衆主体のルールを作れないだろうか・・・という観点から書かれたのが本書というわけだ。

 

いわゆる先進国は資本主義の(今となっては)負の部分を助長してきたし、さらに拡張しようとしている傾向にあるのだが、そこに、新たにグローバルサウスという新興のグループが明確にその影響力を発揮しだしている。

現在は、ある意味画期なのではないかと思うのだが、ここで、資本主義に修正を加えられるのかどうか、これが、21世紀後半へのひとつの課題となりそうだ。

そのためには、20世紀の先進国(日本も含めて)が少し減速しなければならないという選択もあり、これは大きな障害ともなろう。

 

資本主義というシステムを維持しながら、持続可能性を模索する、一つの試案として本書を読まれるのも良いのではなかろうか?