時代の風音(堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿著) | 本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

本書のオリジナルは1992年ユー・ピー・ユー刊行のもの、私は1997年初版の朝日文芸文庫版で読む。

 

遅ればせながら、最近、司馬遼太郎の対談集を読んでいて、そこで本書の存在を知った。

この3人の鼎談ならば、読んでみたいと思う人も多いだろう。

30年以上前に彼らは何を語ったのか、現在につながる視点はあるのだろうか?

総じて、20世紀末には、日本はおかしくなった、という論調があった、当時はそれほど気にしていなかったが、現在から振り返ると、あながち間違ってはいないとも言えよう。

なにしろ、米国に次ぐ経済立国だった国が、GDPで、中国、そしてドイツには抜き返されることになり、程なく、インドにも抜かれる、という状況は、それだけでも、おかしい・・・と感じられなければ、何か、重要な感覚が麻痺しているように思える。

しかし、そんなことに、真剣に対峙することを、避けているような風潮があるようにも思える。

一般に、通貨安は国力の相対的な弱体化を示す指標だと思うのだが、さかんに、インバウンドが伸びていると、吹聴するニュース番組を見るにつけ、不安感が増していく。

まぁ、私は、あと20年くらいでおさらばする予定だが、それでも、ただでは済まない気がするので不安がいや増す。

しかし、それとともに、この国の黄昏を経験すること、そして、それが、もしかすると、(この国の)本来の姿を表すことなのではないか、という期待が少しあることも記しておこう。

 

え、本書についてはどうなんだって?

最初に書いた通りで、この3人なら間違いは無い。

宮崎駿も相当な文化人(知識人)だが、他の2名の前では見劣りするというのところが凄まじい。