本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

本書は集英社2004年刊行のもの、本書を知ったのは、故小田実「市民の文(ロゴス)岩波書店2005年」に紹介されていたからだ。

そして、日本にもある差別を、アメリカという別の視点から見つめるのには最適な本だと言えよう。

誰にでもお勧めできる本ではないけれども、間違いなく、名作だ。

 

ちなみに、読了後に感じた、とんでもないことがある。

本書の主人公が、自分の人種を偽るということは、もしかすると、戦後の日本人がそれまでの(ネィティブな)日本人を否定して、アメリカ人になりたいという願望と、実は同根なのではないかということだ。

 

まぁ、それが時代の趨勢ならば致し方がないので、その行く末を見つめることが大事なのだとだと思う。

 

 

昔々、日本という国は機械のように正確なという形容詞が冠せられることが多かった。

それは、こういう事故が発生しないことが大前提だった。

本記事を見ると、居眠りなどの運転ミスではない、と言っているのだが、そもそも、ブレーキがなんらかの原因で効かなかったのならば、整備不良ではないのか、そして、それも、人為的なミスだとされたのが、いわゆる、昭和の頃の日本だったのではなかったのか?

まぁ、でも、日本という国は様変わりしたことは事実だ。

これも、仕方ないことだろう。

運転見合わせ続く東海道新幹線 保守用車両のブレーキ操作するも減速せず JR東海
7/22(月) 21:15配信 テレビ朝日系(ANN)

保守用の車両が脱線した影響で名古屋駅と浜松駅の間で運転を見合わせている東海道新幹線について、JR東海は会見で事故原因について「ブレーキが利かず減速できなかった」と説明しました。
 JR東海によりますと、22日午前3時半すぎ、愛知県の豊橋駅と三河安城駅の間で保守用の車両同士が衝突し、双方の車両が脱線しました。
 この影響で東海道新幹線は上り、下りともに浜松駅と名古屋駅の間で運転の見合わせが続いています。
 終日で運転再開の見込みがないことを明らかにしたJR東海は午後8時すぎから会見を行い、「大変なご迷惑を与えたことを深くおわび申し上げます」と謝罪しました。
 そのうえで、保守用の車両の衝突について、ブレーキ操作が行われたが何らかの原因で減速ができなかったとみられることを明らかにしました。
 運転手の居眠りなどのヒューマンエラーはないとしています。
 この事故で運転手ら2人がけがをしていて、このうち1人は首の骨を折って入院しているということです。
 また、当初、復旧作業は午後7時ごろに完了する見込みでしたが、故障した保守用の車両を搬出する作業や衝突により油が漏れるなどしたため、想定よりも時間がかかっているということです。
 この復旧作業は午後9時ごろまで続くとみられています。
 また、22日夜にもすべての保守用の車両を一斉点検をするとしています。
 復旧作業の進捗状況を見つつ、22日中の臨時運転などについても検討するということです。
 また、23日の運転計画については予定通り行えるように作業を進めていくと話しました。

 

 

アフガニスタンの撤兵のタイミングから疑問を感じ、ウクライナで確信に変わっていた、バイデン氏の外交手腕の拙さ。

それは、過度なインフレを招いたことで、世界の動向を変えたことは事実だ、日本でも、重い腰を上げるように、賃上げが喧伝された。

しかし、生活は、苦しくなった、ウクライナ以降、生活に関連するものの値上げが公然と行われるようになったからだ。

さて、日本もそうだが、先進国と言われる国々で、システム的な矛盾が出てきている様にお見受けするのだが、果たして、どうなることだろう?

バイデン大統領、米大統領選からの撤退を表明 代わりの候補としてハリス副大統領を指名
7/22(月) 3:30配信 日テレNEWS NNN

11月のアメリカ大統領選挙で再選を目指すバイデン大統領が、選挙戦からの撤退を表明しました。
11月の大統領選挙で再選を目指すバイデン大統領がSNSで選挙戦からの撤退を表明しました。
「大統領をつとめられたことは人生最大の名誉です。再選を目指す意向でしたが、残りの任期は大統領としての職務を全うすることにのみ専念することが我が党と国にとって最善の利益であると信じている」と述べた上で、「決断の詳細については今週後半に国民のみなさんにお話しする」としています。
また、バイデン氏に代わる候補としては、ハリス副大統領を指名した上で、「今こそ団結してトランプ氏を倒す時だ」と訴えました。
バイデン氏は先月27日に行われたトランプ前大統領との討論会で言葉に詰まるなど精彩を欠き、高齢への不安が高まっていました。
討論会を受け民主党の議員が公然と選挙戦からの撤退を求めるなど、バイデン氏への撤退圧力が強まっていました。