本書は、河出書房新社、河出新書2020年刊行のもの。
このところの日本とはどうなんだろうと、考えていたのだが、橋本氏の著作を読んだら合点がいった。
まさに、本書の表題のとおりだ。
ただし、Z世代の人も安心して良い、今年高齢者の分類となる私も含めて、バカになったからだ。
どういうことかというと、至極簡単だ、自分は本当はバカなんだけれども、人間というやつはそれを認めたがらない、だから、自分は少なくも普通だと考えて、今の若いやつは、日本語がグダグダな上に、読書さえまともにできない、とやるわけだ。
それは、一見正しいのだが、本来バカだった者が、自分よりバカを見つけて評しているだけなんだから、始末が悪い。
そういう(悪)循環が続いたのが戦後の日本であり、顕在化したのが、バブル以降「失われた✕十年」と呼ばれ現在に至る状況だ。
問題解決への道は、ほぼ国民総バカだという前提で謙虚になれば良い。
昔取った杵柄みたいなこともチャラにしてゼロベースで、現在の状況と対峙できれば、救いはあろう。
ただし、バカにはそんなことはできない、多分、自分以外はバカだと言ってさらなる深みへと突入していくことになりそうだ。
いくつか気になるところを引用してみる。
…「この廃墟からどうやって立ち上がったらいいんだ」というゼロから出発するためのノウハウはないままなんですよ。そもそも若い人たちは苦悩する体力もなくなつてしまって、心を病む方向へ行ってしまうなんて時代にもなっているし。
今の若い人が絶望的になりやすいのは、今日がどうやって明日につながるかについては考えず、「あんまり変わらない明日しかないよな」と思ったままで、「さらに、じゃあ」と十年後も二十年後も見てしまうからなんでしょう。でも、そもそもそんなふうに未来の虚無みたいなものを見てしまうというのは、自分の現在に立脚できていないからであって、今日できることをやることが、少しづついい明日を作っていくことにつながるんじゃないの、と思うしかないわけです。
…そうか、家族というものが崩壊したから教育を学校に頼るようになったのか、という答えがでてくる。いまの教育がおかしいのは、親が教えなくてはいけないようなこともぜんぶ学校に押し付けてしまうから。…親が子供に基本的な教育をするのがいちばん簡単なはずだけれど、逆にいまは「躾も学校で教えてください」といわれている。なにもわからないそんな親が社会人をやつているいまの世の中は最悪です。
本来人間が生活をする上で避けて通れない事ってあるように思う。
子育てと一言で言っても、やはりそこには躾があるだろうし、それは、他人に任せるのではなく、実の親がやらなければ、戸籍上・血縁上は自分の子供でも、もしかすると、他人の考え方を踏襲した(ある意味異質な)子が同居してしまうことになるような気がする。
ここ数十年間、家族が友達付き合いになってしまった気がしていたが、そういう家庭で育ったは子供は、生物学的な親にはなれても、社会的な親にはなれないと思う。
そういう子が成長して、結婚し、新しく子供ができても、社会的に親ではない者が、子供育てるとすれば、その子供とは、一体、何者なんだ?
私は子育て経験はないが、親の介護経験は現在している、これも、世の中見ていると、きちんとできている人もいれば、私の兄のように全くやらない人もいるし、その傾向は増加することだろう、コスパ・タイパで考えたら最悪の事象だしね。
でも、親の介護すると、人間が見えてくる、そして、生活することについて洞察することができる。
上で引用したように、介護も、今日一日をどうするかだけなんだ、それを積み重ねていくことだけなんだよね。
親は、突然容態が変わることがある、そうすると、大変だ、何回も入院したことがある、半年以上施設にいたこともある、でも、現在は、ショートステイなど短期間に家を開けることはあるけれども(私の休養のため)、自宅介護でやっている、傍から見ると、同じようなスケジュールを愚直に繰り返しているだけに見えるだろう、しかし、同じことを繰り返せることが、どんなに幸せなことか、それでも、いつか破綻することを想定しながら暮らすことになる。
そうすると、普通の生活がどれほど大切なのかがわかる。
毎日、華々しいイベントがないと暮らせないと思っている人がいれば、もしかすると、それは狂気に足を踏み入れているのかもしれないね。