本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

本日の対マリ線の勝利はとても嬉しい事件なのだが、冷静に考えると、マリは日本をよく研究し、万全ではないかもしれないが、各プレイヤーも良く動けていた。

いくつか、危険な場面もあり、仮にもう一度戦えば、2-1ぐらいで負けていてもおかしくない内容だった。

先だってのウズベキスタン戦でもそうだったのだが、明らかに、相手に押し込まれていても、崩れない、そして、少ないチャンスをものにする。

さてさて、そんな日本は本戦でどのような戦いを見せるのか?

前回の東京オリンピックは、ある意味、日本のスター選手が集結した感じがしたのだが、今回は、それに比べてものすごく地味に見える、オーバーエイジの利用もない。

様々な事情はあっただろうが、これは、前代未聞の出来事だ。

 

常識を超えたところでチームを運営していると思われる、大沼ジャパンは、果たして、どんなエンドロールを私達に見せてくれるのだろうか?

 

追記:あれだけ日本を苦しめたウズベキスタンは現在2敗だ、やはり、アジアと世界の間の壁は、以前と同様に高いのだろうか?

 

 

この記事を読んでいて、違和感があったのだが、それが、表題のこと。

法治国家とは、その定めた法に則って、社会が営まれるはずだ。

それが、特定の条件下で否定されるのならば、それは、もはや法とは言えない、例えば、最近最高裁判決が出た優生保護法などはそうだろう、しかし、それは、基本的に法改正がなされるはずだ。

本件、加害者が子供だとは言え、傷害を引き起こしたことにより、民事による賠償を請求したものであり、当初の725万円から、88万円ほどに減額されている、いわゆる、過失による相殺が考慮されていることを考えると「子どもが校庭を自由に走り回るより、高齢者の愛好会を優先する国」という、言い回しは、とてもきちんと考量した意見とは言い難い。

まぁ、民事による損害賠償請求を袖にする人なのだから、およそ、法律の遵守とは馴染まない人だと、そう考察した上で、賛同するならば(彼の論述が基本的に成り立っていないという前提)、それはそれで良いのかも知れないが、直感的に賛同したのならば、ひろゆき氏の術中にはまってしまったことになる。

ご用心、ご用心。

ひろゆき氏「高齢者の愛好会を優先する国」当時小学生への賠償命令判決に異論
7/26(金) 15:46配信 日刊スポーツ
 「2ちゃんねる」開設者で元管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏(47)が26日までに、自身のX(旧ツイッター)を更新。当時小学生で校庭で高齢者にぶつかり、けがをさせた男性2人が賠償を命じられた民事訴訟について私見を述べた。
 2019年11月、滋賀県草津市立の小学校のグラウンドで集団下校の指導を受けていた、当時小学6年の児童だった男性2人が追いかけっこをしていた際に、下校後に行われるグラウンドゴルフ愛好会での活動に参加しにきた80代の女性とぶつかり、女性は転倒して太ももの骨を折るけがをした。
 女性は当時小学生だった男性2人と市に約725万円の損害賠償を求めていた。大津地裁は25日、周囲への注意義務を怠ったとして男性2人に88万3041円の賠償を命じた。また、教員や校長らは女性の進路など当時の状況を把握していなかったことから過失は認められないとして、市への請求は棄却した。
 ひろゆき氏は毎日新聞のネットニュースを引用。「小学校の下校後にグラウンドゴルフ愛好会に参加するために来てた88歳女性が小学生にぶつかりけが。小学生2人に88万3041円の賠償責任。小学生が小学生がグラウンドを走るの当たり前やん、、、」と指摘した上で「子どもが校庭を自由に走り回るより、高齢者の愛好会を優先する国」と苦言を呈した。
 投稿には26日午後3時までにで6600件のリポスト、7.3万件のいいねが付くなど多くの反応があった。「高齢者のせいで子どもがグラウンドすら走れない時代が来る」「将来生まれてくるはずであろう子どもの出生を間接的に奪ってしまう」「子ども優先にしないとやばいですよね」などの声が上がった。
 一方で「骨折はさすがに子どもとはいえやり過ぎじゃないか」「お互いに自分たちだけではいけないという視点」などの声や、「登下校時の出来事なのに学校側の責任をあえて外しているのが妙に気になる」「学校の保険でカバーすべき種類の事故に思う」など、学校側の対応を疑問視する声もあった。

本書は2014年刊行のみすず書房版で読む。

 

日本も参考にしたと言われるワイマール憲法、そして、ワイマール共和国について、本書のようなものがあると教えてくれたのは、たぶん、西部邁の著作だったのではないかと思う。

そんなことを考えながら読んでいたが、意外と楽しく読み進められた。

しかしながら、あとがきにも引用されている「今さ、30歳で結婚できるやつって、いるか?失業しているやつもいるし、明日にだって失職するやつもいるってことに、準備できてないんだ」という下りを読んでみて、あなたは、どう思うのだろう?

 

すてきな法律(憲法)はあっても、その実体が伴わなければ、ご存知のように、ファシズムへの道を歩んでしまう。

これは、単なるこじつけだが、そのことは、何か、現代の日本にもあるような感じがするのだ。

ことさらに、「法に則って」などという、権力者やら世論が目につくようになったということは、実体がそうではないということの、悲痛な反論のように見えてきてしまう。

 

まぁ、でも、そんな人にお勧めの一冊、ではなく、本書はケストナーの傑作として楽しく読んでほしいと思う、考察するのは、その後で良いのではないだろうか(そちらの方は簡単な問題ではないからね)?