こんばんは。久々に大阪の街歩きを書いてみます


今日は「西横堀川」です。ですが、この川は現存しません。1962年に埋め立てられて、その跡地に阪神高速道路1号環状線が走っています。もちろん川のある時代を式守は知りません



ゆえに、今回の街歩きは「高速道路の下」に沿って歩くという、非常に開放感のない風景が続きます


西横堀川があった以上、東横堀川もあったのでは?というか、こちらは現存しています



東横堀川は実は昨年4月に歩いてブログに書いていました


春のうららの東横堀川


東横堀川も川の上に阪神高速が走っているのですが、こちらは埋め立てられず、道頓堀川とともに大阪の街に潤いをもたらしています


そして、西横堀川と、長堀川(こちらも埋め立てられています)の交差する場所が「四ツ橋」と言いまして、川の交差点の四方に橋が架かっていたそうです



ということで、西横堀川跡を歩いてみます…




オフィス街である淀屋橋(土佐堀川)から、西横堀川跡に添って南下するとすぐに威容を誇るビルが見えます


三井住友銀行大阪本店だそうです。大正時代の建築とのこと。旧財閥の住友銀行だったらしいですね


私の職場に融資をしなかったので、いい印象はないのですけどね(もちろん別な支店ですが)


ともかくも建物は荘厳で昔日の栄光をしのぶにふさわしいですな




地下鉄四つ橋線肥後橋駅の近くにある「筋違橋」の跡です。すっかり高速道路の下の道でしかないのですが、橋の跡だけは残されています



続いて「信濃橋」の跡です


よく考えたら、土佐堀川・肥後橋・信濃橋・阿波座…と、このあたり旧国名を冠した地名が続きますね


江戸時代の大阪の蔵屋敷に各地の品物が集積していた名残かもしれないですね。「天下の台所」とか言いましたしね



この辺で、阪神高速は16号大阪港線・13号東大阪線などと分岐するジャンクションになっています


少しそれて、四ツ橋に向かいます




背後に高速が見えます。


地名は「四ツ橋」、通りの名は「四つ橋筋」 読めますか?)


ついでに地下鉄の駅も



地下鉄四つ橋線「四ツ橋」駅


四つ橋筋の下を走る路線だから「四つ橋線」。地名は四ツ橋だから四ツ橋駅と言われればそれまでですが


ひらがなとカタカナをなぜ使い分ける??ひっかけ問題のような地名・駅名ですな


一応この駅では長堀鶴見緑地線とも乗り換えできますが、こちらは「心斎橋駅」。その心斎橋駅を通れば御堂筋線心斎橋駅にもつながっています。けど。だいぶ歩くけどね




江戸時代から昭和の頃まであった「四ツ橋」の跡。橋の欄干を模したミニチュアがあります




こんな感じです


昔日にはこんな風景だったそうです



江戸時代…運河として西横堀川と長堀川が交差していたんですな




昭和時代。もうすぐ埋め立てという頃


画像はいずれもお借りしました




さらに南下しますと、若者の街堀江からアメリカ村~私の先輩が好んで出没するUKロックのカウンターバーや、コスプレバー…頭髪も寂しい部長さんですけど




オムライス発祥の店?「北極星」さん。ここでは入ったことないけど




難波の西端あたりで、道頓堀川が現れて、西横堀川と合流という地点まで来ました。西横堀川終点になります


この場所を500mほど東へ行けば、グリコの看板・かに道楽など「ザ・大阪」の風景があります


少しだけですが、西横堀川があった形跡が残っています



ちょっとだけ盲腸のように道頓堀川から北に水路があって、見てのとおりすぐに行き止まり…


この先は埋め立てられた西横堀川…


韓国はソウル市の清渓川(チョンゲチョン)はかつて暗渠として塞がれ、高架道路が通るようになりましたが、2003年から道路を壊して、再び川を復元させる工事をおこない、2005年に川が復活したそうですね


東京も西横堀川と同じように川を埋め立てて、高度成長期に首都高速を張り巡らせた経緯があります


日本橋川の復元構想も聞きますが、こちらは実現にはまだかかるのでしょうかね?


大阪もかつての「水の都」、橋の欄干のモニュメントでしのぶだけでなく、あらためて、川の復元もしてみればと思ったりもします


ということで、久々の大阪街歩きでした~バイバイ