今日、石川植樹祭への天皇皇后両陛下のご参加のため、東京―金沢間で、お召列車が運転されました。
今年の春に開業した、長野―金沢間では初めてのお召列車です。
というわけで、東京駅に見に行ってきました。
9:52、入線
今回は珍しく、20番線への入線でした。
いつもは21番や22番が多いイメージなんですが。今時は、もう目隠し車両とかもやらないんでしょうかね。
編成は、E7系のF6編成でした。
そして、ホームに来られた天皇皇后両陛下
この後、10:08東京駅御発で、金沢へと行かれました。
かつて、中央線信濃町駅のすぐそばには、青山練兵場があり、新宿方面から練兵場を結ぶ軍用線がありました。
そして、その練兵場は、明治天皇崩御の際に大葬を行ったという歴史もあります。
明治天皇陵は、明治天皇のご希望により京都の桃山にありますので、大葬のあと、軍用線に設けられた青山仮停車場より、桃山仮停車場まで霊柩車が運転されています。
今日は、その青山仮停車場の跡地を訪ねてみました。
国土地理院のサイトより、昔の地図を見ると、
信濃町駅から、新宿寄りに少し行ったところにあったであろうことがわかります。
というわけで、信濃町駅前の線路をまたいでいる道路から撮影してみることに。
ここでまず、当時の青山仮乗降場を写したとされる写真
もともと軍用線としての施設でしたので、立派なホームがあります。
そして、現在。
左側の、道路のあたりが青山仮乗降場の跡地であると考えられます。
今は跡形もなくなっていますが、この付近は明治時代の遺構が数多く残っている場所であり、昔そういったホームがあったのだという事を想像させてくれます。
今では何気ない風景になっている場所ですが、歴史的にはいろいろな事があったのですね。
そして、その練兵場は、明治天皇崩御の際に大葬を行ったという歴史もあります。
明治天皇陵は、明治天皇のご希望により京都の桃山にありますので、大葬のあと、軍用線に設けられた青山仮停車場より、桃山仮停車場まで霊柩車が運転されています。
今日は、その青山仮停車場の跡地を訪ねてみました。
国土地理院のサイトより、昔の地図を見ると、
信濃町駅から、新宿寄りに少し行ったところにあったであろうことがわかります。
というわけで、信濃町駅前の線路をまたいでいる道路から撮影してみることに。
ここでまず、当時の青山仮乗降場を写したとされる写真
もともと軍用線としての施設でしたので、立派なホームがあります。
そして、現在。
左側の、道路のあたりが青山仮乗降場の跡地であると考えられます。
今は跡形もなくなっていますが、この付近は明治時代の遺構が数多く残っている場所であり、昔そういったホームがあったのだという事を想像させてくれます。
今では何気ない風景になっている場所ですが、歴史的にはいろいろな事があったのですね。
YouTubeに、Nゲージのお召列車の動画集をUPしました。
ロクイチと一号編成とかの代表的な編成はもちろん、E655とか157とかもあり、機関車も数種類収録しています。
そして、超絶めっちゃマニアックな編成も
ぜひ見てください
ロクイチと一号編成とかの代表的な編成はもちろん、E655とか157とかもあり、機関車も数種類収録しています。
そして、超絶めっちゃマニアックな編成も
ぜひ見てください
この前の日曜に、新潟駅と内野駅付近に行ってきました。
新潟駅では、初めてちゃんとしらゆきを撮影
2番線にはいなほも止まってたし、常磐線率が高いwww
そして、新しい内野駅も初めて見ました
注目したいのはこの階段で、外から見ても大きな半アーチ型できれいだし、内側から見ても、上に行くほど曲線の傾きがゆるやかになるので、視覚的に登るのが大変だなーと思いづらくなります。
内部景観、外部景観ともに素晴らしいですね。
そして、内野駅から新潟大学前方に5分くらい歩いたところの跨線橋のそばに、俯瞰で撮れる場所があったので、ちょっとだけ撮影
現在越後線で活躍している形式3種です
E129系も増えてきてたし、だんだんと車両が変遷していきますね。
というわけで、新潟駅と内野駅の話でした。
新潟駅では、初めてちゃんとしらゆきを撮影
2番線にはいなほも止まってたし、常磐線率が高いwww
そして、新しい内野駅も初めて見ました
注目したいのはこの階段で、外から見ても大きな半アーチ型できれいだし、内側から見ても、上に行くほど曲線の傾きがゆるやかになるので、視覚的に登るのが大変だなーと思いづらくなります。
内部景観、外部景観ともに素晴らしいですね。
そして、内野駅から新潟大学前方に5分くらい歩いたところの跨線橋のそばに、俯瞰で撮れる場所があったので、ちょっとだけ撮影
現在越後線で活躍している形式3種です
E129系も増えてきてたし、だんだんと車両が変遷していきますね。
というわけで、新潟駅と内野駅の話でした。
富山県の高岡駅から越ノ潟駅までを結ぶ、万葉線という路線がありますが、そのミニレイアウトを作ってみました。
刑事ドラマとかで、大量にお札を入れて犯人に渡すときに使うような箱に(わかりにくい例えか?)、レイアウトを作りました。つまり、持ち運びができるレイアウトなんです。
実は、大学で去年いた研究室で、万葉線に関連する研究をやっていまして、同様の物を先輩が先に作っていたんです。で、その研究室が去年度いっぱいでなくなってしまうということで、いらなくなった箱をもらってきて、第二弾という形で製作しました。
レイアウトの中身はというと、
まずは高岡大仏
前回の記事で、わざわざ大仏のミニチュアを買うためだけに鎌倉に行ったというのは、このためだったんです。
「そのためだけにわざわざ鎌倉まで」ってめっちゃ思いましたが、やっぱり日本三大大仏の一つである高岡大仏を模したものは置きたいので、結果的にはよかったかなと。
そして、その高岡大仏の最寄りの坂下町駅
最後に越ノ潟駅
本来は、越ノ潟で線路は終わっていますが、小判型レイアウトの都合上、線路を先に延ばしていますwww
ちゃんと、県営渡船の越ノ潟発着場の建物も作っておきました。
と、こんな感じで、今回は大体完成した万葉線レイアウトの紹介でした。
これから、少しずつ微調整や多少の修正はしていきますが、大体こんな感じのレイアウトになります。
そして、確定はしてないので何とも言えませんが、6月13日の万葉線電車祭りで、去年の研究室の元メンバーで出店するらしくて、そこで展示する・・・かも?しれないです?
というわけで、万葉線レイアウトの紹介でした。
刑事ドラマとかで、大量にお札を入れて犯人に渡すときに使うような箱に(わかりにくい例えか?)、レイアウトを作りました。つまり、持ち運びができるレイアウトなんです。
実は、大学で去年いた研究室で、万葉線に関連する研究をやっていまして、同様の物を先輩が先に作っていたんです。で、その研究室が去年度いっぱいでなくなってしまうということで、いらなくなった箱をもらってきて、第二弾という形で製作しました。
レイアウトの中身はというと、
まずは高岡大仏
前回の記事で、わざわざ大仏のミニチュアを買うためだけに鎌倉に行ったというのは、このためだったんです。
「そのためだけにわざわざ鎌倉まで」ってめっちゃ思いましたが、やっぱり日本三大大仏の一つである高岡大仏を模したものは置きたいので、結果的にはよかったかなと。
そして、その高岡大仏の最寄りの坂下町駅
最後に越ノ潟駅
本来は、越ノ潟で線路は終わっていますが、小判型レイアウトの都合上、線路を先に延ばしていますwww
ちゃんと、県営渡船の越ノ潟発着場の建物も作っておきました。
と、こんな感じで、今回は大体完成した万葉線レイアウトの紹介でした。
これから、少しずつ微調整や多少の修正はしていきますが、大体こんな感じのレイアウトになります。
そして、確定はしてないので何とも言えませんが、6月13日の万葉線電車祭りで、去年の研究室の元メンバーで出店するらしくて、そこで展示する・・・かも?しれないです?
というわけで、万葉線レイアウトの紹介でした。
今日は、東京都世田谷区にある、大蔵運動公園に行ってきました。
というのも、この公園に静態保存されているSLの、C5757を見るため。
こちらです。
子供たちが元気に遊んでいる公園の一角に、鎮座しています。
この機関車は、昭和13年に製造され、岡山や仙台で活躍した後、北海道に渡りました。
小樽築港機関区に所属していた昭和29年8月、北海道国体に伴う天皇皇后両陛下の北海道巡幸啓の際には、お召列車の本務機として活躍しました。
今から60年近くも昔にお召列車を牽引したお召本務機です。
現在は、車輪と主連棒に装飾された形で保存されていますが、後で調べてもお召列車を牽引した時の写真がなかなか見つからず、当時もこのような装飾があったのかは不明です。。
また、北海道に所属していた機関車の場合、鉄道博物館に保存されているC57135のように、デフレタが切り詰められて小さくなっているものですが、これはそのままの大きさのデフレタで、珍しい機関車となっています。
そして、この静態保存ですごいところが、階段がついていて、運転席に入れるようになっていることです。
空の炭水車をこんなふうに見れるのもまた珍しい。
静態保存の中には、屋根で覆って保存状態を良くしているものが多いですが、ここでは屋根がない自然な姿を見ることができ、さらに、野ざらしでも劣化しないように、とても綺麗に整備されています。
C5757は、登場以来3365110kmという非常に長い距離を走行し、昭和51年3月31日に引退しました。
そして、同年6月以来、ここ大蔵運動公園に大切に保存されています。
今でも美しく保存されている姿を見て、昭和天皇、香淳皇后を乗せて北海道の大地を駆け抜けたC5757の勇姿に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。
~C5757、お召列車牽引実績~
昭和29年8月
9日:長万部~虻田、伊達紋別~東室蘭
10日:登別~苫小牧、苫小牧~追分
18日:帯広~小樽
21日:小樽~札幌
※「国鉄時代」vol.35(ネコ・パブリッシング)、「国鉄(JR)お召列車運転記録」より引用
というのも、この公園に静態保存されているSLの、C5757を見るため。
こちらです。
子供たちが元気に遊んでいる公園の一角に、鎮座しています。
この機関車は、昭和13年に製造され、岡山や仙台で活躍した後、北海道に渡りました。
小樽築港機関区に所属していた昭和29年8月、北海道国体に伴う天皇皇后両陛下の北海道巡幸啓の際には、お召列車の本務機として活躍しました。
今から60年近くも昔にお召列車を牽引したお召本務機です。
現在は、車輪と主連棒に装飾された形で保存されていますが、後で調べてもお召列車を牽引した時の写真がなかなか見つからず、当時もこのような装飾があったのかは不明です。。
また、北海道に所属していた機関車の場合、鉄道博物館に保存されているC57135のように、デフレタが切り詰められて小さくなっているものですが、これはそのままの大きさのデフレタで、珍しい機関車となっています。
そして、この静態保存ですごいところが、階段がついていて、運転席に入れるようになっていることです。
空の炭水車をこんなふうに見れるのもまた珍しい。
静態保存の中には、屋根で覆って保存状態を良くしているものが多いですが、ここでは屋根がない自然な姿を見ることができ、さらに、野ざらしでも劣化しないように、とても綺麗に整備されています。
C5757は、登場以来3365110kmという非常に長い距離を走行し、昭和51年3月31日に引退しました。
そして、同年6月以来、ここ大蔵運動公園に大切に保存されています。
今でも美しく保存されている姿を見て、昭和天皇、香淳皇后を乗せて北海道の大地を駆け抜けたC5757の勇姿に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。
~C5757、お召列車牽引実績~
昭和29年8月
9日:長万部~虻田、伊達紋別~東室蘭
10日:登別~苫小牧、苫小牧~追分
18日:帯広~小樽
21日:小樽~札幌
※「国鉄時代」vol.35(ネコ・パブリッシング)、「国鉄(JR)お召列車運転記録」より引用