過去の遺産<仏教6>【新説・般若心経(?)】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

仏教の数多い経文の中で、最も有名なのが、
この『般若心経』かも知れません。
般若というと、お面を思い出す人が多いと思います。
そう、あの鬼みたいな顔の『お面』です。
また、お笑いコンビの『はんにゃ』を思い出す人もいるでしょう。
当然、この2つは全く関係ありません。

般若というのは、

サンスクリット語のパーニャ(智慧)を漢字に当てた言葉です。
「智慧」とは、一般でいう知恵と違い、
より深遠で、しかも限りのない叡智を差します。

つまり、般若心経には、人間を苦しみから救い、
安らかな境地へと導くための、深遠なる智慧が記されているのです。

知っての通り、お経は漢字の羅列なので、
読んで理解するのは難しいでしょう。
幸い、書店やネットには現代語訳されたものが出回ってるので、
誰でも理解出来る状況になっています。
調べてみれば解りますが、
内容の解釈は人によって異っており、
それぞれの表現やニュアンスには、かなり個人差があります。
でも、それは、全く仕方のない事です。
何故なら、般若心経にそう書いてあります。
何が正しくて、何が真実かを窺い知る事は不可能だとほっこり

それでは、僕が調べて、吟味した内容を、
僕なりの解釈で説明したいと思います。

 

 

      般若波羅蜜多心経、コー兄バージョン

観自在菩薩は、修行の中で智慧を掴みました。
それは、「この世界にあるもの全ては、
実体がない空っぽの器に過ぎない」というものです。
これを理解すれば、あらゆる人生の苦しみは消え去り、
心豊かで、安らかな、
全く新しい自分に生まれ変われる事でしょう。

この世界にあるものは全て、
ずっと同じ状態で在り続ける事は不可能です。
山や森も、川や海も、人の体も、
全てが移り変わっていきます。
僕らの感覚や思考や認知や行動も、常に一定ではなく、
その時々で違いますよね?
このように変化するからこそ実体はなく、
実体がないからこそ、自在に変化する事が出来るのです。

僕らが何かを見たり、聞いたりすると、
それに対して何かを感じたり、認知したり、
考えたり、思ったりしますが、
それらには何の根拠も客観性もありません。
だから、悩みや苦しみなども、実体のない幻でしかないのです。

それにも関わらず、
僕らの心には悩みや苦しみが次々と浮かんできます。
しかも、それを解決する方法さえ解らず、
何が正しくて、何が真実かを知る由もありません。

誰もが、歳を取る事や死ぬ事を恐れますが、
それが、本当に怖い事なのかどうかも解らないでしょう。
そして、これから逃れる手段も有り得ない。

解らない事を考えて苦しむのは、全くの無意味です。
ただ、明らかなのは、全てが移り変わっていく事だけ。
だからこそ、人は自分の心を自由自在に変化させる事が出来ます。

 

そもそも僕らの心は空っぽなのだから、
何を感じ、何を思い、何をするかは、全て個人の自由です。
苦しみたくないなら、苦しみを捨て、
ハッピーになりたいならば、希望を入れ、
自由な目的を持ち、自在に行動すればいいのです。

 

以上を悟った観自在菩薩は、物事への拘りや、無駄な考えを捨て、
自由で安らかな境地に至る事が出来ました。
何と、この境地は誰にでも身に付ける事が出来ます。
そう簡単な事ではありませんが、
求め続ければ、必ず叶う時が訪れるでしょう。

 

難しい知恵は要りません。
ただ、この言葉を肝に命じて日々を過ごしてください。
「往ける者よ、往ける者よ、安らかなる未来に往ける者よ、
未来に全く往ける者よ、進めよ、幸あれ」。
さあ、みんなで幸せになりましょう。


以上、かなり、アドラー心理学的なニュアンスになりましたが、
般若心経の主旨は捉えてると思います。

次回は、仏教の三宝印について、紹介します。
般若心経を、より具体的に説明したような内容になると思いますお願い