アドラー心理学22.【共同体感覚への課題その2】 | 始まりはアドラー心理学

始まりはアドラー心理学

より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

今回も、テーマは『共同体感覚』です。

前回の最後で、自分自身で作る『妄想の壁』について触れました。
これについて、説明したいと思います。

アドラーは「人間の悩みは100%対人関係」といいましたが、
また「人間の悩みは100%妄想」ともいっています。
つまり、僕らは妄想によって他人に対して壁を作り、
勝手に悩んでいるのですガーン

人間は、他人に対し、
見た目の印象や、
接した時の印象が『思わしい』だけで好意を持ち、
『思わしくない』だけで不信感や嫌悪感を抱きます。
接していて『良い気分になるか、ならないか』、
または『安心するか、不安になるか』などを理由に、
他人を『好きか、嫌いか』、『味方か、敵か』で分けるのです。
 
人間のあらゆる精神状態は、認知によって決まります。
接する相手を『話が合う』、『価値観が同じ』、『優しい』、
『慕ってくれる』と認知すれば、好意を持つし、
『気が合わない』、『意地が悪い』、
『敵意がある』と認知すれば、嫌いになります。
そもそも、『気が合うか、合わないか』、『優しいか、意地悪か』、
『好意があるか、敵意があるか』などを
明確に判断する基準や根拠は有り得ません。
個人がそう感じてるだけで、
相手の意図は全く違うものかも知れないのです。

人間は、見知らぬ他人には不信感や警戒心を抱きますね。
それは、「悪い人かも?」、「危害を加えられたどうしよう?」、
などと根拠もなく思い込んで不安になるからです。
自分で勝手に思い込んで心配して不安になってるだけで、
相手には何の悪意も敵意もあるはずがありません。
これは、よく知ってる人に対しても同じで、
相手の些細な言動を深読みして不信感を抱き、
「嫌い」、「苦手」などとレッテルを貼って距離を置く人もいます。
そうなると相手も感ずくので、同じように不信感を抱かれ、
両者共に相容れない関係になってしまいます。

臆病な人は、
不機嫌な人を目の前にすると、
「自分が何か怒られるような事をしたかもアセアセ?」、
と誤解して悩んだりもします。
中には、「何ふて腐れてるんだイラッ?」と怒り、
自分も不機嫌になる人もいます。
実際は、ただ体調が悪いだけとか、
疲れてるだけかも知れないのに…。
また、この『不機嫌』というのも単なる思い込みで、
本人は至って平常心だったりします。
それにも関わらず、怖がって避けたり、
敵意を剥き出しにしたりすれば、
相手も不信感や敵意を抱いてしまい、
お互いの間に太い線が引かれてしまいます。

以上は、誰もが無意識にやっている事です。
だからこそ、今、
この厄介な認知癖に意識を向けなければなりません。
これが、実は、何の根拠もない単なる妄想であり、
自分で自分を苦しめるだけの
『無意味な認知』である事を知るべきなのです。

以前に述べましたが、
そもそも多くの人々は、他人に対して何の悪意もありません。
それは、自分を例に取れば解ります。
大体、自分から他人に危害を加える動機なんて、
誰も持っていないはずです。
もちろん、世の中には攻撃的な人間もいて、
こちらに非もないのに危害を加えられる事もあるでしょう。
しかし、そのような人でも、実際は悪意などなく、
勝手に誤解して腹を立てたり、あらぬ危険や敵意を感じて、
ただ防衛行動を取っただけだったりします。

全ては無知から来る妄想に過ぎません。
人間は『知らない』という状況に不安を抱きます。
だから、あれこれ決め付けて、
解ったつもりになって安心したがるのです。
結果、誤解や勘違いだらけとなり、
対人関係がギクシャクする破目になります。

本来ならば、知らなければ、確かめるのが筋です。
自分から相手に関心を持ち、
自ら進んで解ろうとすべきだと思います。
僕らには『言葉』という便利なツールがあるのですから。

人間心理には、誰にでも共通する部分がたくさんあり、
よくよく話せば、
相手の気持ちの大概は理解出来るものです。
基本的には、誰もが、
同じような喜びと苦しみを感じながら生きています。
よって、互いに深く知り合えば、
人々の間に共感の輪が拡がり、
喜びを分かち合い、許し合える関係になれるはずなのですキラキラ

まずは、認知を変えましょう。
『全ての人間は仲間』と認知する事です。
仲間だと思えば、上から目線になったり、敵だと見て避けたりせず、
自分から優しく、協力的に接しようとします。

他人を「敵だ」と認知する人であっても、
相手から歩み寄られたら嬉しくなりますよね?
相手から優しくされたら、自分も優しくしようとするし、
同じく自分から好意を示せば、向こうも好意を返してきます。
これは、心理学で、
好意の返報性~ミラー効果』と呼ばれる人間の本能です。
笑顔で接すれば、相手も笑顔になるし、
不穏な表情をすれば、相手の同じような表情になります。
人間は、生まれつき同じ資質を持っており、
互いに触れ合う事で共鳴し、共感し合うのです。
まさに、これは共同体感覚そのものであり、
予め人間に具わった本能といえます。

人と人が解り合えないのは、
相手からの歩み寄りを待っていて、
自ら歩み寄ろうとしないからです。
何故、歩み寄れないのでしょうか?
他人に親しみを持って接しても、
「嫌な顔をされたらどうしようえー??」とか、
「冷たく返されたらどうしようしょんぼり?」、
または「いずれ裏切られるんじゃないかえー??」、
などという、相手のネガティブな対応を恐れるからです。
そんなものは、単なる妄想に過ぎないのに。

全ての他人を味方だと認知して接すれば、
人生で出会う多くの人々からも、
同じように味方だと認めてもらえます。
もちろん、中には、どうしても解り合えない人もいるでしょう。
妄想によって他人に強い不信感を持つ人や、
こちらの善意を悪意と捉える人などです。
このような人に親しみを持って接した場合、
嫌な顔をされたり、拒否されたり、
時には、憎まれたり、嫌われたりする事もあります。
でも、気にする必要は全くありません。
相手がどう認知するかは、相手の課題であり、
こちらにとっては管轄外ですから(課題の分離)。
誰かに悪く思われても、
それによって自分という人間の価値が揺らぐ事は有り得ません。

繰り返しますが、
他人を敵視したり、他人からの好意を待ってる人は、
まだ精神的な自立が不充分だといえます。
つまり、自分の事だけで精一杯。
待ってるのではなく、人任せにするのではなく、
自分から他人に働き掛けなければ、何も始まりません。
誰もやらなければ、自分がやるしかないビックリマーク
勇気を出して…アップ
この自発性こそが自立心を育み、
共同体感覚をより一層と強くする事でしょう。

次回は、アドラーが伝えようとした共同体感覚を、
さらに別の視点から探求したいと思います。
恐らく次回が、
『アドラー心理学レポート』の〆になるはずですバイバイ