アドラー心理学21.【共同体感覚への課題】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

今回も、『共同体感覚』について話を続けていきます。

ここまで、アドラー心理学について、いろいろと説明してきました。
目的と課題、劣等感と優越感、感情について、
認知論、課題の分離、勇気について、…など、様々です。
実は、以上の全てが、共同体感覚に繋がっています。
そして、これら全てが、

人々の『幸福感』を決める人生の重要項目となるのです。

それでは、共同体感覚をより大きく育てるため、

克服すべき課題について、以下に挙げましょう。

1.劣等感と人見知りの克服
巷には、人見知りする人、シャイな人が大勢います。
特に若い人に多いですが、何故でしょうか?
それは、自分と他人を比べるからです。
他人に向かい合うと、相手が素晴らしく見えて、気後れしたり、
恥ずかしくなったりしてしまうんですね。

多くの場合、『人見知り』は、
歳を重ねて、多くの対人関係を経験する中で
次第に克服されていきますが、
中には、人生の課題として、いつまでも残してしまう人もいます。
酷い場合は「誰も相手にしてくれないショボーン」、
「私なんか誰にも必要とされてないえーん」と思い込み、
他人を避けたり、家に引きこもったりする人も…。

人見知りする人は、
他人に対して無愛想で、無反応な事が多いので
相手から見ると気難しい人だと思われて、距離を置かれてしまいます。
本当は、自分から壁を作っているのに、

「世間は冷たい」、「自分は嫌われている」思い込んで、
自信をなくしてしまうんですね。
これは、とてもツラい状況です。

ここから抜け出すには、
自分からアクションを起こす以外に方法はありません。
勇気を出してDASH!
自ら心を開き、自発的に他人と関わるようにすれば、
実は、多くの人々が味方だったという事実が解るはずです。

2.優越コンプレックスの克
劣等感の余り、背伸びして強がったり、やたらと自己アピールしたり、
自慢をしたがる…、などの人は周囲にいませんか?
彼らは、上下社会の悪しき価値観に染まっている典型的なタイプで、
格上だと認めた人には従い、
格下は自分の欲求を充たす道具として扱います。
こうなってしまうと、互いに助け合ったり、
支え合ったりする事は難しいでしょう。

そうならないためには、
まず劣等感を克服する事です。
課題から逃げずに、自分を変える努力をするのです。
並びに、自分と他人を比べない事。
「全ての人間は、平等で対等」であり、
人間を優劣で分けるのは意味のない事です。
他人と争って打ち負かしても、自分の価値は一向に変わりません。
何の解決にもならないばかりか、
むしろ、対人関係が悪化して、お互いに苦しむだけだと知るべきです。

3.課題の分離
人間にとって好ましくない事というのは、日常で様々あります。
自分の努力で何とかなればいいんですが、
どうにもならない事って、実に多いですよね。

考えてみましょう。
その『どうにもならない事』の殆どは、
他人の領分ではありませんか?
人の心は自由であり、これを思い通りに出来るのは本人だけです。
それにも関わらず、他人の領分に土足で入り込み、
あれこれと手出し口出しし、自分の価値観と願望を押し付けて
いちいち騒ぎ立てる人が、世間には大勢います。
具体的にいうと、他人の仕事や就職や結婚、
交遊関係や買い物など、あらゆる価値観や嗜好にケチを付けて、
自分の流儀を押し付ける『うるさい人』です。

また、自分の領分なのに、
他人に何とかさせようとする甘ったれも大勢います。
日常では、気に入らない事や困った事がいろいろと起きますが、
特に誰かが悪い訳ではなく、
仕方がない状況というのはよくあります。
そんな時に、誰かを犯人扱いして、責任を追及しても、
何の意味もありません。
誰かに謝罪させ、自分の不満を晴らす事で解決と見なすならば、
そもそもの問題はどこにあるのでしょうか?
それは、自分が嫌な気分になった事、これだけであり、
他人から見たら全くの無関係です。
ならば、誰かを責める必要はなく、
自分で自らの気分を回復させればいいだけでしょう。

そもそも、他人を利用して
自分の不機嫌を鎮めようという意識にこそ最大の問題があります。
自分が勝手に不愉快になったにも関わらず、
これを他人に解決させようとするのは責任転化であり、
単なる甘えに過ぎません。
人間にとって、
『精神の安定』は100%自分自身の課題なのですから。

自分の領分を管理するのは自分の課題であり、
当然ながら他人にも他人の課題があります。
この、自他の課題を分離して考えられるようになれば、
対人関係は飛躍的に良くなるでしょう上矢印

4.自己承認欲求を整える
自己承認欲求とは、簡単にいえば、
「他人から認められたい」という事です。
自信がない人ほど、自己承認を強く求める傾向があります。
自分で自分を認められないので、心が充たされず、
それで、周囲からの過剰な承認を求めようとするのです。

 

また、似た言葉に『自己顕示欲』というのが、あります。
これは、自分を周囲にアピールしたがる欲求の事です。
自分の力や能力を周囲に誇示しようと、威張ったり、
説教したり、自慢したりする人、周囲にいませんか?
会話をすれば、他人の話を聞かず、
自分の事ばかりを延々と話したり、他人が話した内容にケチを付け、
自分の正当性を誇示したりする人、いるでしょう?
彼らは他人に話を聞いて貰い、
共感や賛辞を得るのが何より大好きです。
その反面、他人の話を聞いて、肯定したり、
共感してあげるのを面倒くさがります。
これでは、みんな離れてしまいますよね。
求めてばかりで与えようとしなければ、
周囲と絆を結ぶ事は出来ません。

5.認知を整える
人間は、とかく他人を見た目の印象で判断しがちです。
「優しそうだほっこり」、「怖そうだアセアセ」などと印象を抱き、
それに従って、対人関係の距離を決め付けようとします。
また、相手の職業や肩書きによって見方を変えたりもしますね。
「営業マンだから社交的だ」とか、「職人だから気難しい」とか、
「社長だから気前がいい」とか、勝手に決め付けます。

とかく、現代人は、他人を一定のカテゴリーで分けたり、

レッテルを貼るのが好きです。
自分で確かめもせず、
先入観や世間の風潮を基準にして、短絡的に決め付けます。

誰もが周囲に「苦手だな」と思う人がいるはずですが、
これも、単なる決め付けかも知れません。
初めは「嫌なヤツだ」と思った人が、
よくよく話してみると、実は良い人で見直したり、
意外と気が合って意気投合したりする事ってありませんか?
「苦手だ」というのは、
ただ他人への理解が足りない事による『誤解』かも知れません。
食わず嫌いと同じく、まずは食べてみて、味わってみないと、
何ともいえない訳ですね。


…以上、様々な例を挙げましたが、
皆さんに心当たりがあるものばかりだったと思います。
特に、最後に挙げた『認知を整える』という課題には、
多くの人が引っ掛かったのではないでしょうか?

基本的に共同体感覚の乏しい人は、物事を自分中心に捉えます。
だから、他人に関心を持たず、他人のために行動しようとしません。
これは、自分の事だけで精一杯で
精神的に余裕がない状態ともいえます。
あたかも、『自分』という巣から出られず、
未だに飛び立てない雛のようですね。
ズバリ、大人として巣立ち出来てない訳です。

このような人は、
周囲や他人が自分の思い通りに動いてくれる事を
常に期待しています。
しかし、世の中、そんなに甘くありませんよね。
この不毛な期待感を手放さない限り、
いつまでも『怒り』、『不満』、『失望』などの様々な苦しみから
逃れる事は出来ません。

他人は自分の期待を充たすために存在してる訳じゃなく、
同様に自分にも他人の期待を充たす義務などありません。
他人を思い通りにしようとするのではなく
自分を思い通りにするのです。
これが出来ないと、
いつまでも対人関係で苦しみ続ける事になります。
つまり、いつまで経っても、
人間として『真の歓び』を感じる事が出来ないのです。

以上から解る通り、共同体感覚を身に付けるには、
劣等感を克服し、感情を整え課題の分離を知り、
自らの精神を自ら支配する事が前提条件となります。
いわば、一人の人間としての『自立』上矢印
それは、自分にしか関心がない状況から卒業し、
他人に目を向け、周囲の役に立とうという境地に入る事を指します。

解ってしまえば、もう簡単です。
後は課題を意識して、改善に取り組むのみですね。

しかし、ここで、一つの壁が僕らの前に立ち憚ります。
それは、他ならぬ、自分自身で作る『妄想の壁』です。

 

人は、他人という存在がいなければ生きていけないのに、
その他人に対して不安や恐怖を抱いてしまいます。
さて、どうすれば良いのでしょうか?
これについては、次回に詳しく述べたいと思いますバイバイ