韓国人が日本のカレー屋に入る。
伝統のある店だと聞いていて、かなり期待していた。
壁には昔のテレビ出演の写真が貼られていて、ギシギシ鳴る木の椅子が店の歴史を物語っている。
韓国人はワクワクしながらカレーを注文し、数分後、ついに待ちに待ったカレーが運ばれてきた。
ところがこの韓国人。
一口も食べずに店を出ることになってしまった。
なぜか。
カレーを混ぜたから。
スプーンでご飯とカレーをぐちゃぐちゃに混ぜていたところ、それを見た店主が真顔になった――という話。子供の頃に父から聞いた話だ。
実話かどうかは分からない。さすがに料理を混ぜたくらいで客を追い出す料理人は日本にもいないと思う。
でも子供の頃って、こういう話を聞くと妙に頭に残る。
「日本ではカレーを混ぜちゃいけないんだな」
そんな感じで記憶に保存されていた。
その一方で、韓国は本当によく混ぜる文化だ。
ビビンバなんて名前からしてビビン(混ぜる)+バ(ご飯)だ。
料理そのもののアイデンティティが「混ぜること」にある。
クッパもそう。
友達と同じ店で同じメニューを頼んでも、最終的には別の料理みたいになる。
ある人はタデギを大量に入れ、
ある人はカクテキの汁を入れ、
ある人はアミの塩辛で塩加減を調整する。
小さな料理一つにも、その人なりの世界観が入っている。
自分も日本で初めてカレーを食べた時、無意識に混ぜそうになった。
韓国人だから仕方ない。手が先に動く。
でもその瞬間、父の話が頭をよぎった。
「ここで混ぜたら追い出されるんじゃないか?」
なんとなく周りを気にしてしまった。
厨房の奥で店主が静かに包丁を研いでいそうな気さえした。
当時、父が言うには、料理というのは客の前に出された状態が最も完成された姿で、それをぐちゃぐちゃに混ぜてしまうのは料理人の心遣いを壊すようなものだという。
そして「どう見せるか」まで大切にする日本では、そういう行為がより失礼に感じられるのではないか、という話だった。
これも理由の一つなのかもしれない。
でも日本人の友達と話してみると、また別の理由があった。
「そのままを楽しむこと」
みんなが共通して言っていたのはこれだった。
混ぜずにそのまま食べることで、それぞれの味を別々に楽しめるというのだ。
カレーがしっかり染み込んだご飯には濃厚なおいしさがあり、
端のほうで少しだけカレーがついた部分にはまた違う素朴なおいしさがあり、
カレーがまったくついていない白ご飯そのものの味もある。
時にはカレーだけを食べたりもする。
でも全部混ぜてしまうと、本来別々に存在していた味が一つに潰れてしまう。
「なるほど!!」
頭ではすごく納得した。
でもカレーを食べる時になると、やっぱり無意識に混ぜようとしている自分がいた。
韓国人って、ちょっと「バランス」に執着するところがある気がする。
カレーとご飯の比率がぴったり合っていないと落ち着かない。
カレーが先になくなると不安になるし、
白ご飯だけ残ると失敗した気分になる。
最後の一口でカレーとご飯が同時になくなってこそ、なんとなく綺麗に終わった感じがする。
自分もずっとそう考えて生きてきた。
でも別に完璧に揃っていなくてもよかったのだ。
白ご飯だけを食べる瞬間があってもいいし、
カレーだけ残ってもいい。
「そのままを味わう」ということ。
以前、日本人の友達と「しろくま」というアイスを食べた時も似たようなことがあった。
韓国のパッピンスによく似たこのデザートを見た瞬間、自分は本能的にスプーンで混ぜようとした。
韓国ではパッピンスをそうやって食べるからだ。
でも友達はやっぱり混ぜずに、そのまま食べ始めた。
イチゴを食べ、
アイスを食べ、
また白い部分を食べる。
最初は
「そんな食べ方したらバランス崩れるのに」
と思っていた。
でも見ているうちに、それが妙に自然に見えてきた。
今では自分もカレーをあまり混ぜない。
少しずつすくって食べる。
でも今でもある。
カレーが先になくなりそうな時の、あの微妙な不安感。
最後に白ご飯だけ残ると、やっぱりどこか失敗した気分になるのは仕方ないのかもしれない。
