塚本三郎通信 H29-1 事情は時と所によって変わる | 日本世論の会 本部

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事情は時と所によって変わる

 

 十二月初冬、友人の誘いで、箱根山の宮ノ下へ一泊の旅をした。

名古屋から小田原まで、新幹線の窓から見た富士山の雄姿の素晴らしさ。頂上付近が初冠雪の見事な姿を、車窓から消え去るまで見とれてしまった。

 名古屋―東京間は、国会議員在籍中、何百回と往復したことか。もちろんその時も、途中で富士山を見る度に見とれていたが、今回ほどに感心しながら見とれたのは初めてだ。

 小田原駅から乗合バスに乗り、箱根山の宮ノ下まで、曲がりくねった山道を約四十分間、右に左に小道の両側に見る紅葉、赤、黄、緑と三色が競って彩る。

 花ではなく、木の葉の色彩だから、数日では散らない。全山が彩られ、乗客の我々が紅葉に招かれて、飽きない景色に窓ガラスに顔を付けて離さない。

 一ヶ月後には、富士山や箱根山の紅葉も、白一色や黒一色となろう。この季節であればこその絶景であった。

 大自然の四季折々の変化は、同じ世界に生きる人間生活そ

のものも、正、邪それぞれ「時と所」によって反転することを弁えるべきではないか。自然の景色を見て反省する。

 

話はまったく別であるが、十二月八日は太平洋戦争勃発

の日である。当時、青年時代の小生は(約七十五年以前)、大本営発表の「戦争状態に入れり」の放送に、「やったー!」と大きな歓声を発した。それは私だけではなかった。大半の国民の大合唱の声が全国に響いた。

 当時の私なりの状況判断では、日支戦争中、

一、日本は米国とは戦争を行っていない。

二、だが、米国は敵国の支那に資金のみならず、武器の大半を供給していた。

三、その上、航空機等は米軍兵が操縦しており、実質的に敵対関係にあった。

四、日本の産業と防衛力の資材の大半は米国から輸入しており、石油や鉄鋼石などの資材を全面的に禁輸された。生活必需の原材料を全面的に禁輸されて、国民生活上も事実上、貧困に陥っていた。

 五、それらのことは、事実上の対日宣戦布告と受け取っていたのは、日本国民の気持ちである。

 日本が対中国との戦争の長期化に飽き、その上、巨大な武力と産業大国の米国を敵に回す不利は承知の上であったろう。

 だが日本は、右の如きゆきがかり上、宣戦を余儀なくした。否、米国の作戦に乗せられたと言うべきであろう。

 米国にもそれなりの主な原因があったことは、戦後米国内からも各種論評されている。

 そして、敗戦の結果、日本は米英等連合国の占領下で七年、その後漸く独立国となった。

 今日では、世界でも類例のない程の強固な「日米同盟」を形成している。この歴史的事実から、人間 関係も国家観も、近視眼的に見てはならないことを教えられる。