朝鮮史 | 日本世論の会 本部

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在日朝鮮人の本当の歴史は、NHKなど日本の大手マスコミでは、報道がタブーとされている。

明治時代に、既に日本の賢人達は見抜いている。
福沢諭吉(慶応大学創立者)や、新渡戸稲造(「武士道(英文)」の著者)は、韓国を訪問し
て、朝鮮人は付き合えない民族、と看破している。

更に、福沢諭吉は1885年に「脱亜論」で、「こういう乞食を相手に争うとノミが移る恐れがある」
とさえ述べている。 日韓併合の25年も前に、である。
李朝末期には,「清」の影響で韓国民はアヘンに耽り,主な土地は欧米列強の借金の抵当に入り,破綻していた。

1910年の日韓併合では、日本政府は、これまでの朝鮮人の悪習である「労働を軽蔑する風習」「奴隷制度」,[父と娘の近親相姦(試し腹)の風習」,[人糞食の習慣」などを禁止し、また「物々交換」の生活も貨幣流通の生活に変更させた。
さらに李氏朝鮮の抱えていた、欧米列強からの膨大な借金も、日本政府が肩代わりして全額返済してやった。

また朝鮮全土には、まともな道が 無かったので、大規模なインフラ整備を行い、たった35年の短い併合期間 ではあるが、朝鮮半島全体に道路網や鉄道を建設し、更には水道が無かったので、それも全土に普及させた。
さらには、韓国には、もはや禿げ山しか残されていなかったが,植林で緑の山に変えてやり、荒れ地も 豊かな水田にしてやった。そのため生活も改善され、韓国人の平均寿命はなんと2倍に延びた。
また朝鮮には「文字」も紙も無く,一般国民は文盲だったので,日本政府はハングル語による「義務教育」を導入してやった。

植民地研究の第一人者であるイギリスのアレン・アイルランド著の「The New Korea」によると、
ずっと虐げられ続けてきた韓国人の劇的な豊かさの実現は、日韓併合された時代だけだった、
と述べられている。
しかし朝鮮人は「朝鮮国民に圧政と奪略の限りを尽した李氏朝鮮一族」の罪はとがめずに、瀕死の韓国民を救ってやった日本人を「日本人は,韓国人より格下の,いまわしい倭猿」とあざ笑い、さらには逆恨みした。

また当時来日した韓国人は、盛んだった「済州島」からの密航者であるが、無理やりに日本政府に強制連行されたとウソをついて被害者ぶっている。実は、彼らは白丁(賤民)で、韓国では差別、虐待の対象だったので、日本に逃げてきたのであった。そのくせ日本への密入国に成功すると、今度は韓国から家族を呼び寄せている。
当時の朝鮮人は不潔で、風呂の習慣がなく、悪臭が強烈で、清潔好きな日本人からは嫌がられた。

1945年、日本が無条件降伏した時,日本中が無法地帯になり,それまで乞食同然の姿の在日朝鮮人たちは、突如豹変し、約4万人の徒党を組んで「朝鮮進駐軍」を結成しアメリカ占領軍の手助けをした。
そして、一方では、アメリカ軍の黙認のもとに、武装して、日本人の土地の不法略奪、強姦、銀行襲撃、警察襲撃、背乗りでに日本人なりすましなど、暴れ放題の限りを尽くした。  
彼らは個々に部隊名を名乗り、日本各地で縄張りを作り暴れ,その元締め組織が「民団」や「朝鮮総連」という在日朝鮮人を守るための活動団体になっていった。

彼らは国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法に奪略した。そしてそこに、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記されて現在に至っている。

アメリカ占領軍はアメリカの国益のために,日本軍や特高警察を解体し、警察官の武器所有も許さず、
在日朝鮮人を戦勝国側の国民として扱かい、日本の警察が在日朝鮮人の逮捕するのも禁止した。また日本人が在日韓国人に対し非難やヘイトスピーチをすることも禁止した。

結局、占領時代のどさくさの何年間、日本政府は、彼ら在日朝鮮人のやりたい放題を許してしまった。

現在は韓国では、子供たちは捏造による反日教育で日本を憎むように洗脳され、日本をほめる人はみんな袋叩きにあい、社会的に抹殺される。