平成29年3月17日
内閣総理大臣 安倍 晋三 殿
内閣官房長官 菅 義偉 殿
文部科学大臣 松野 博一 殿
横浜の教育を考える会 代表 湯澤 甲雄
横浜市南区大岡3-41-10電話045-713-7222
社会権規約・自由権規約の準用に関する施行令発令等に関する請願
副題・教育行政の戦後レジームからの脱却措置
1、請願の要旨
請願(1) 我が国が昭和54年8月4日締結した国連憲章に次いで高位の国
際条約・「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、並びに、市民的及
び政治的権利に関する国際規約」(条約第7号)(以下前者を「社会権規約」後者
を「自由権規約」と称し、両規約を「同条約」と称する)は、憲法前文1項に立
憲された自由民主主義の原理について定めており、且つ憲法第98条によりこれ
を「誠実に遵守することを必要とする」とされているので、ここに同条約準用の
施行令を発令していただきたく請願いたします。
請願(2) 自由民主主義の原理が定まるに伴い、教育基本法第1条(教育の
目的)を無視して作成された教育振興基本計画(平成25年6月14日閣議決定)
の下に現在行われている「自立・協働・創造に向けた一人一人の主体的学び」の
教育行政を廃止して、教育基本法第1条(教育の目的)「自由民主主義の原理特
に国民の基本的人権(特に習俗と和の心)を帯した国民の育成を期して行われな
ければならない」に則った教育行政に変更していただきたく請願いたします。
請願(3)同条約(英文)は極めて難解な文章であり、その和訳文は外務省に
よれば「仮訳」とのことにて法文として理解しがたいので、この際是非「正約」
して平易な和訳文にて公表していただきたく、請願いたします。
2、請願の理由等
(1)我が国が憲法で国是とする自由民主主義を原理とする政治のその原理は、
昭和54年に同条約が締結され、「法の定める新たな人権関係の定義が定まった」
ことにより、我が国の憲法は対外的には独立国の憲法となりました。しかしなが
ら、昭和21年憲法制定時における非独立国としての国内法制は、昭和54年以
降においても新たな人権関係の定義を採り入れず、「法の定めるところに拠らな
い古い誤った人権解釈を据え置いた」ために、今なお非独立国としての国内法制
が有効とされる憲法違反の状態にあります。そこで、国会の決議を経ていない
「法の定めるところに拠らない古い誤った人権解釈」を、国会決議済み条約第6
号と第7号の「法の定める新たな人権関係の定義」に入れ替える必要があるこ
とが陳情の理由です。このために憲法改正等の法律の改正は不要と思料します。
(2)「法の定める新たな人権関係の構造」は、同条約によれば、「国民(複数)
の基本的人権」「人間(複数)の基本的自由、それを支える個人(単数)の自由
と権利」「個人(単数)の責務・義務」の3層です。なお、同条約の内自由権規
約を用いて以下説明します。
第1層 国民の基本的人権(Fundamental Human Rights)の定義。
国民の基本的人権が何であるか、被占領下の人民には無いものであるので、憲
法の中には具体的内容を示した規定はなく、空白となっています。今は独立国で
すから、同条約を準用して定めることにします。
同条約前文において「国民の基本的人権とは、世界の自由、正義、平和の基本
となる概念にして、家族や共同体を構成する全ての人々が、歴史的に形成した
尊い習俗(習俗宗教、天皇制、伝統文化、道徳、領土、領海、財産、法律)と慈し
みの心であり、政府によって認定されたもの」と定めています。
また、同条約第2条において、認定された国民の基本的人権を国は尊重し確
保することを約束するとし、この実現のため必要な立法措置・その他の措置を採
るため必要な行動を採ると定めています。従って、国民の基本的人権は生まれな
がらにして人間に備わっているとした現行の理解は誤りであり、後天的に習俗
に染まって定まるもの故に、国毎に国民の基本的人権の具体的内容が異なりま
す。「夫々の各国は他国のそれを侵してはならない」とし自国と世界の平和の礎
と定めています。基本的人権を永久に尊重(安全保障・自衛)することが平和へ
の道とであるとしています。憲法9条があることが、平和憲法ではないのです。
防衛省を含む全ての本省は、第一義的には憲法第11条の下に在る奉仕者です。
第2層 人間(複数)の基本的自由(Fundamental Freedom)、それを支える国連
が創設した条件としての個人(単数)の自由(Liberty)と権利の定義。
人間(Human Beings)は、生まれながらに自由(Freedom)です。この自由を国が
尊重した瞬間に自由が消えるから、国から尊重されることは絶対にありません。
この自由(Freedom)を放置したら、人間社会は闘争の坩堝と化しそれを享受でき
なくなるので、「国民個人に社会権や自由権という個人の自由(Liberty)と権利
を条件として創設し、個人はその条件の中で自由を享受し、争い事は国が設けた
中立公正な裁判所に委ね、国は第三者の立場からこれを保障する」ならば、国民
は自由(Freedom)を享受することができると組立てられています。従って、上記
「 」の中の「個人の自由と権利」も国が尊重するものではありません。これを
憲法条文で見れば、憲法第12条、14条から40条までの条文であって、これら
の条文は、国が尊重してはならないのです。
然るところ、占領下の人民には、第1層で説明の如く、尊重されるべき基本的人
権が無かったことから、憲法の「個人の自由と権利」を基本的人権とする我が国
独自の憲法解釈を行っているのが現状です。自由民主主義憲法の至高の条文で
ある基本的人権の中身を別次元のものに換骨奪胎していることは、自由民主主
義国家である日本国を亡ぼしていることを意味しますので、目下日本国民は全
体主義に向って進んでいると言えます。
昭和54年同条約締結により我が国は独立国になり条約順守義務を負ったのだ
から、内外の法律に違反する憲法解釈を改めるべく本施行令の発令を必要とす
るのです。現状は国際条約・憲法の双方に違反するばかりか、刑法第2章内乱に
関する罪に該当します。左翼勢力が護憲勢力に固執する理由がここにあります。
第3層 「国民個人(単数)の責務・義務」
占領軍にしてみれば被占領下の日本人には、国民(複数)の基本的人権、人間
の基本的自由、国民個人(単数)の義務は不要です。しかし、このたび同条約の
施行令発令に当り、国民個人(単数)の義務についても発令は必要です。
同条約は国民個人の権利を有する人(Individualという)は、基本的人権を
有する家族や共同体の人々(Individualsという)のために尽くすべき責務を負
い、更に常に国民の基本的人権を増進擁護に努める義務がある義務条文として
います。(関係の原文の全文は次のとおりです。「the individual, having duties
to other individuals and to the community to which he belongs, is under
a responsibility to strive for the promotion and observance of the rights
recognized in the present Covenant,」
(3)因みに大辞泉(小学館発行)で「基本的人権」をひくと次のとおりです。
「人間が人間として当然持っている基本的権利。近代初頭では、国家権力の自由
権を意味したが、20世紀になって、自由権を現実に保障するための参政権を、
さらに自由権を現実に保障するための参政権を、更に国民がその生活お保障さ
れる生存権などの社会権を含めていう場合が多い。日本国憲法は、侵すことので
きない永久の権利としてこれを保障している。」チャランポランな説明であり、
且つ同条約と意味が全く重なりません。広辞苑も朝日新聞コトバンクにも上記
と似たような表現があります。朝日新聞のコトバンクには多くの有名出版社名
があり、また著名な法学者名や<東京大学社会科学研究所編『基本的人権』全5
巻>も掲載されていましたが、大辞泉と大差ありません。
私の調べでは、欧米の英英辞書や限られた百科全書には、基本的人権に関する
記載は全く無いと言っても過言ではありません。植民地主義者であり国内で激
しい人種差別(奴隷制度等)があった欧米諸国に国民の基本的人権があろうはず
がないのです。欧米に基本的人権の尊重があったとする学説は日本独自の虚偽
にして、震源地は日本学術会議法学会の学者と思われます。尊重すべき国民の習
俗、人間愛等の基本的人権を尊重せず抹殺し、捏造された尊重すべきでない個人
の権利を尊重することにして自由を抹殺し、全体主義に傾斜する道を新しい学
習指導要領の中に入れ、国民は誤った道を再び歩かされようとしています。以上
追記 私は「基本的人権」の概念を考案した人物は戦前に10年間駐日米国大使
であったジョセフ・グルーであると思います。グルーは1944年12月から45年
8月15日の極めて短い期間に国務次官に在任し、この間に国連憲章やポツダム
宣言に携り、また京都への原爆投下に反対し、第2次大戦後における世界平和
の理念をどこに置くかについて腐心された人物と思います。この時彼は道義性
の高い日本の教育勅語と天皇が遍く人々の安寧(平和)を祈る中にある道義性
Virtueを見て、家族や共同体の習俗を大切にする概念としてFundamental Human
Rights(基本的大義)を見出したと思われます。多くの反対を押し切って捨て身
で天皇の地位を守りぬき退官させられた行為からも察しがつきます。以上