<国会における憲法解釈の大転換に関する提議> | 日本世論の会 本部

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      平成28年2月18

衆議院議長   大島 理森 殿
内閣総理大臣  安倍 晋三 殿

横浜の教育を考える会 代表 湯澤 甲雄
横浜市南区大岡3-41-10 85歳 無職

 <国会における憲法解釈の大転換に関する提議>

 

 2月15日(月)衆議院予算委員会における民主党山尾志桜里議員(元検察官)の質問に対する安倍総理と高市総務大臣の「表現の自由」に関する答弁をテレビで拝聴しました。

 ここに登場したお三方何れも、<「表現の自由」は憲法第11条「基本的人権」であり且つ、憲法第12条の「自由と権利」である>と、両者は同一次元にあるとする憲法解釈の立場から発言されていました。この憲法解釈は、文部科学省検定済みの中学校公民教科書にも同じ様に記述されております。しかしながらこのような憲法解釈は、お三方だけでなく、多くの国会議員が同様の初歩的憲法解釈の誤りを侵しており且つ、国際人権条約(社会権規約と自由権規約)に基づく国際社会のあるべき姿に対する国会議員の無理解に起因するものでありますので、調査・研究の上修正しなければならない政治の重大な複合的基本問題であることをここに提議いたしたいと思います。この複合的基本問題の解決なかりせば、未来永劫国会においてルーピー状態の議論が続き、国論が割れ、我が国は国際社会の軌範から取り残されて、決して国際社会において名誉ある地位に立つことができません。従来の憲法解釈の誤りを徹底的に正し大転換させなくてはなりません。

 

 第1に、現行憲法条文をよく読めば字の如く、「基本的人権」は憲法が国民に永久に保障する、即ち憲法が国民に対し永久に保障義務を負い、国民が憲法に対し永久に権利を有する条文です。「永久に保障する」ことを同条約は「尊重し保障する」と言い、国内では俗に「尊重する」と表現されています。一方「自由と権利」は国民が不断の努力でこれを保持する義務を負い、濫用を避ける義務を負い、常に公共の利益のために使用しなければならない義務を負うという、即ち憲法が国民に対する権利を有し、国民が憲法に義務を負う条文です。

従って「基本的人権」と「自由と権利」の両者は次元を異にしています。両者を同一次元にあるとの国会の見方に根本的誤りがあり、国会決議をもって憲法解釈を改めるべきです。

 

 第2に、我が国の憲法前文1項は「自由民主主義を原理とする政治を国是とし、これに反する一切の法律、法令を排除する」と定めています。政治的中立性、公平性とは、自由民主主義を原理とする政治であることを、キチンと法律をもって定める必要があります。国会議員全員に、立憲主義の政治は斯くあらねばならないという基本認識に対する決心・覚悟が欠ける面がありますので、改めてこれを国会決議すべきです。 

3に、その自由民主主義の原理の法的骨格は、昭和54年、国連憲章に次ぐ国際法であCovenants「国際人権条約」の締結により定まり、我が国はこの条約を誠実に遵守する国際的義務を憲法第98条に基づき負うことになりました。

この条約締結により、従来の国民の主権内容空白時代の憲法解釈に対し、その空白を補完する主権内容が定まりましたので、憲法の自由民主主義を原理とする政治の法体系を完成させるために、憲法解釈の転換が迫られています。「条約締結により自由民主主義の政治原理の完成に向かって、憲法解釈を転換すべき点はどこか」について、以下箇条書きにて述べます。それはあくまでも、憲法解釈の転換であって、憲法規定に反するものではないので、憲法改正に拠ることなく国会の一般決議により法律等の制定により進められるべきです。

 

(1)憲法の「基本的人権(fundamental human rightsの翻訳語)」は、同条約によれば「世界の自由、正義、平和の基本となるもの」とされているので、「基本的大義」と翻訳され理解されるべき世界平和の概念です。憲法第9条は世界平和の概念ではなく転換が必要です。

2)従来内容が空白にされていた憲法の「基本的人権」の内容は、同条約により「家族や共同体の人々(individuals)が歴史的に形成した尊い習俗、伝統、文化、法律、領土、領海、財産、慈愛の心等であって、国が認定したもの」とされ、国の体質、国体を表す「国民の主権」に相当するものであり、このため憲法により永久に尊重されるものと規定されています。即ち奉仕者たる国会議員を含む全ての公務員は、この国民の基本的人権を永久に安全保障する義務があります。同時に、「基本的人権の尊重」とは、「一人一人の個人(individualの人権の尊重」ではなく、「複数の国民(individuals)の主権の尊重」と、憲法解釈の転換が行われました。これは世界平和を加盟国が内政重視により保とうとするものです。従って、「個人の権利尊重」という個人の自由を認めず全体主義に誘う従来の憲法解釈は、憲法前文1項の規定により排除し、自由民主主義の中核的且至上の概念である「家族や共同体の人々の基本的人権の尊重」に転換しなければ平和憲法にならないのです。基本的人権の個別具体的内容を認定すべく、憲法第11条の下に「基本的人権認定法」(仮称)を制定し、国会がその認定に係る立法措置を行わなければならないことも判明しました。

3)同条約によれば、一人一人の個人(individual)の生まれながらに有する「自由」を確かなものとするために、国連は32条文の「自由と権利」(「表現の自由」も含まれている)を要件として人工的に創設し、国はこれを保障するもの(尊重しないもの)としたことも判明しました。これにより憲法第12条の個人の「自由と権利」の内容は、第12条から40文までが要件として創設された条文であることが判明しました。これにより、「基本的人権」と「自由と権利」を混然とさせて同一次元のものと憲法解釈させてきたことが誤りであったことが明らかとなり、両者は別次元のものとする転換が一層必要となりました。

 

4)以上の憲法解釈の転換により、憲法第12条末尾の「公共の福祉」には、公共団体が国民に対して行う基本的人権尊重行為も公共の福祉に属することになるので、<「自由と権利」は常に「基本的人権」のためにも使用されなければならない>という法秩序があることが判明いたしました。同条約前文末尾に、<一人一人の個人(individual)は、基本的人権を帯する人々や共同体に尽くすべき責務を負い且つ、常に基本的人権を増進擁護するために努める義務を有する>と、国際社会の軌範が示されています。個人が負う公共の福祉の義務には、基本的人権即ち国体や国家のために忠誠を尽くす義務も含むと規定しています。以上


追記、自民党憲法改正草案第21条(表現の自由)2項は、自由権規約第193項に基づき、一定の制限規定を憲法条文として設けるべきと思料します。以上