木 上 様 (世論の会投稿)
H27.11.7 篠田 亮
毎日新聞デジタル ’15.11.16配信
「記憶遺産意見書:日本、「南京」否定派を引用」
http://mainichi.jp/select/news/20151106k0000m010135000c.html
日本政府がユネスコに提出した民間研究者の意見書(高橋史朗教授)、東中野修道氏の疑問を対象とする、静岡県立大教員剣持久木氏、東京外語大教員渡邊啓貴氏の批判を内容とする。
篠田感想;New York Times など当時宣伝に努めた米国左系媒体の調査が必須(東京裁判では原爆の消しゴム?)。
「百人斬り」の、山本七平氏の完膚無き分析と否定に学ん
だ論証が欲しい(日本刀の能力に基づく)。
2次上海事変加害者(国府軍)の犯罪行為討伐が抑々の軍事
行動目的であることを現下列島人は知らない(米映画「太陽
の帝国」で少年が日本軍に敬意)。
上海―南京間、夜を日に継いだ歩兵の長駆(装備重量8貫目
/人で、40㎞/日)。途中、ドイツの軍事顧問団設置した、当時世界一とされたチェコ製機銃整備トーチカに苦戦しつつの進軍。S20年、目の当りにして驚愕した米軍の兵員等輸送車両に比しS12年頃の我が軍は当に歩兵。自動小銃どころか三八式歩兵銃。数日で30万人射殺する火器など無し(当時の野戦行軍装備検証で明白の筈。1発必中でも必要な実包30万発の携行無し。況して活ける捕虜等が人形のように撃たれるか。若しくは30万人拘束の捕縄は如何に調建?)。
戦後横浜で根岸の丘に直登する、米軍の道路新設工事を見て驚愕(当時の国産自動車は登坂不可)。我が工兵にPower shovel やBulldozer などなく、約60万立米の死体埋葬用掘削能力無く、700tにも及ぶ死体の揚子江までの運搬手段もなし。河岸から3人縦列で投棄すると延々200㎞の死体流。外国人報道関係者の目に触れない筈なし)。
山本七平氏に倣った実証・検証必須。
第一次上海事変で、英米仏は南京を艦砲射撃。その折の城内軍民の死傷は如何程?China に問うべし。なお該討伐行動に従軍した下士官・兵の日記とやらが証拠如く大手揮っているが,先記如き苛酷な進軍中に日記など有得ないし、軍律からも許されない筈(用紙・筆記具も)。
奥宮正武海軍士官の虐殺目撃証言も検証必須(真珠湾攻撃との取引?)。
コトナカレを身上とするガイムショウなんぞに委ねては危うい。
(了)