平成27年10月5日
日本政策研究センター 伊藤哲夫 様
湯澤 甲雄 横浜市南区大岡3-41-10電話045-713-7222
「憲法改正について思うこと」
現行憲法が (1)連合国占領軍によってわずか8日間で草案されたこと、(翻訳の文章であって日本文とは言えないものであること)
(2)天皇の退位の条文があること、
(3)日本国民の主権(=基本的人権)の規定を空白とし、個人の自由権利のみを認めていること、
(4)前文で自由民主主義を国是しながら各条文において全体主義(社会民主主義や共産主義)を容認するものであること等々の問題点があり、憲法改正の理由として挙げられています。
しかしながら、当時のマッカーサー元帥の意向がマッカーサー司令部と日本側の双方に居た共産主義シンパの憲法起草委員(宮澤俊義教授等公職追放の脅迫を受け、シンパになった者もいる)の意思によって、全体主義に傾斜する条文の挿入や憲法解釈の押し付けが行われていることです。全体主義の排除こそが、憲法改正の当面の目的でなければなりません。
従って公表されている資料をもって、上記(1)から(4)について以下意見を述べます。
(1)わずか8日間で草案されたことについては、やむを得ない事情と我々は受容すべきです。決して日本人を馬鹿にしたような振舞がマッカーサー元帥側にあったわけではないのです。
(昭和20年9月10日、昭和天皇を戦犯として裁くことがアメリカの政策であるとの決議案が、アメリカ議会に提出されていました。9月27日天皇陛下とマッカーサー元帥との会談があり、同元帥は天皇に大変好意を持ちました。11月、アメリカ政府は、マッカーサーに対し、昭和天皇の戦争責任を調査するよう要請したが、マッカーサーは、「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答しました。
1945 年12 月16 日日本占領管理機構としてワシントンに極東委員会が、東京には対日理事会が設置されました。極東委員会は日本占領管理に関する連合国の最高政策決定機関となり、GHQ もその決定に従うことになり、特に憲法改正に関して米国政府は、極東委員会の合意なくしてGHQ に対する指令を発することができなくなりました。第一回の極東委員会の会合は、1946 年2 月26 日ワシントンで、対日理事会は4 月5 日開かれることとなり、極東委員会には、中国・ソ連・オーストラリアなど天皇制維持に反対の国が多く、天皇制の存続自体が危ぶまれるというマッカーサーの思考が働いたといわれています。)
このように、天皇制維持の緊急事態発生に対処するために、マ司令部は国連憲章に定める自由民主主義の政治原理を反映させて作成した日本国憲法草案を日本側に提示したのであって、8日間で憲法が草案されたことについてやむを得ない事情であったことを我々は認めるべきであり、「8日間云々」が憲法改正理由にはならないことを知るべきです。
憲法条文の文体は翻訳調であり拙さがあります。しかし全文を眺めるとそれは法律文として全体に一体性があってよくできていると思います。例えば自由民主主義政治の原理に対する理解不足のために、「基本的人権」と「自由と権利」の法秩序がキチンと定まらない自民党憲法草案や産経新聞の憲法改正要綱よりはましです。
(2)外務省公表のマ憲法草案(英文)憲法第1条は、次のとおり、
「the emperor shall be the symbol of the state and the unity of the people, deriving
his position from the sovereign will of the people, and from no other source.」
これを直訳すると「天皇は国家の元首なり。天皇は国民と一心同体なり。天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」となります。
因みにunityとは、「単一体、(家族の)和合、合同(状態)」とあります。従って、
「天皇の地位云々」の文章は、共産党シンパが後から革命の意図をもって、無理を承知の上で付け加えたものであって削除しなければなりません。天皇と国民とは一人称であって、天皇が三人称になることはあり得ないからです。斯くして、天皇の地位は永久に揺るぐことの無いものとなります。
マッカーサー司令部は、英国が「United Kingdom」、米国が「United States」であれば日本国は「United People」であり、天皇と国民は一体であり、天皇は国民国家の家長・元首とする日本国民の伝統的習俗を理解していたとみるべきです。
しかし自民党憲法改正草案は、天皇退位条文が残されています。頓馬な話です。
(3)日本政策研究センター第27回全国研修会第二日に佐伯啓思先生の「国家無き安保論議への疑問」の講演があります。正に「国家無き」亡国状態から「国家」「国民」「基本的人権」を蘇生させることが憲法改正の目的でなければなりません。国家は「主権、領土、人民」の3要素からなるとされています。よって次に述べる
第一から第三に至る要素が満たされた時、国家・国民の概念が形成されたことになります。
第一に、「人民」です。昭和21年憲法制定当時の日本は、「主権、領土」とも占領軍に奪取された状態にあるので、「国家」「国民」は存在せず、「個人」が存在するのみです。
憲法には「個人の自由と権利」のみが憲法第12条と第14条から40条に至る条文をもって認められ、保障されました。「個人」のみ存在が認められています。そこで左翼革命勢力はマ司令部の左翼行政官と結託して、保障されるべき「個人の自由と権利」と永久に保障されるべき即ち尊重されるべき「国民の基本的人権」の両者を混然とさせる詭弁を用いて、両者を永久に保障する対象とする革命行為に出ました。
これが所謂「人権」と称されるものにして「個人の自由と権利」あるいは「一人一人の人権」が「憲法によって尊重される=奉仕者たる公務員によって尊重される」という、個人に自由の無い全体主義に傾斜する世界に類例の無い憲法解釈をでっち上げて、詭弁でしかない憲法解釈が日本国を支配する状態が今日も続いています。
革命が成功した状態にあります。それ故に、左翼勢力にとって憲法改正は反革命となるので強く反発します。基本的人権と聞いただけで左翼の申し条と勘違いし問答無用とばかりに忌避する保守勢力も増加したために、「国民の基本的人権」は事実上死語になっています。
しかしながら、我々が自由民主主義国家の完成させる明確な目標をもって安倍首相の下に結集して、死語となった現行憲法規定の「国民の基本的人権」を蘇生させることによってのみ、「国家」「国民」を取り戻すことができるのです。
第二に、「領土、領海」です。昭和26年平和条約締結により、戦後連合軍占領地とされ我が国土・領海の主権が連合国のものとなっていたものが我が国に主権が認められました。しかし、沖縄を含む島嶼は、依然として連合軍が主権を保持しており、我が国は連合軍から施政権のみ認められた状態にあります。残念ながら北方領土や竹島を含め現実を認めた状態で「領土・領海法」を制定し、主権のよって立つ基盤の確定を要します。
第三に、「主権」です。日本国民の「主権」とは何かについて法制化することです。我が国の憲法は前文1項に定めるように自由民主主義を原理とする政治を国是として定めています。その原理の法的枠組みは、Covenantsという国連が定める確
立した国際法規である自由権規約、社会権規約に定められています。
両規約は基本的人権を次の如く定義しています。
「recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable
rights of all members of the human family」
(意訳「a father, a mother and child から成る人間家族と共同体の全ての人々が培った尊い習俗と人間愛であって、国によって認定されたもの」)
(注、アンダーラインの部分が主権者たる「国民」です。)
これを我が国の場合にして具体的に述べれば、「家族や共同体の人々が古来より培った尊い習俗(Custom)<多神教の習俗(敬神、信仏、崇祖)伝統、道徳、文化、慣習、法律」> や人間愛であり、国によって認定されたもの」とされています。
憲法第11条は、主権者たる国民の基本的人権を永久に保障すると規定しています。従って、憲法第11条の下に、「基本的人権認定法」(仮称)を制定して、国連が行っている「世界遺産」の認定作業に似た事務を行った上で、国家の体質即ち国体を明文化し、国会議決によりこれを国が永久に保障する対象とします。
国民の精神的基盤である基本的人権が定まるとともに国家の輪郭も定まります。なお、憲法第11条の下に制定されるべき法律は、「領土、領海法」「基本的人権認定法」「省庁設置法(国防軍を含む)」「国家安全保障法」等です。
結論 憲法改正は上記に照らして必須のものではありません。自民党の体力を考慮した場合、当面は左翼勢力によって支配された全体主義(共産主義、社会主義、社会民主主義、リベラル)に傾斜する現行憲法解釈を変更し、憲法に則り自由民主主義政治を完成させるための法整備を行うことこそ優先されるべきであると思います。
以上