地元は危険だから反対しているのではなかったの? | 日本世論の会 本部

日本世論の会 本部

各支部並びに会員相互の交流と広報を目的としています。

原発反対派の抗議に備え、厳重な警備態勢を敷く警察官ら=11日午前11時3分、鹿児島県薩摩川内市の
九州電力川内原発ゲート前(寺口純平撮影)

九州電力の川内原発。右が再稼働した1号機=11日午前10時32分、鹿児島県薩摩川内市

 「原子炉が起動しました」。予定通りの午前10時30分ちょうど。核分裂反応を抑える制御棒が引き抜かれ、
止まっていた原発がついに動き出した。
11日に再稼働した九州電力川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)。東京電力福島第1原発事故を経験した日本の
原子力政策の大きな節目となったこの日を、地元住民らは期待感を持って迎え、原発関係者らは「二度と事故は許されない」と
気を引き締めた。

 「ようやく日常が戻った」。
川内原発がある薩摩川内市の中心部で、民宿を営む永井康太郎さん(66)はそんな気持ちで再稼働の朝を迎えた。

 13カ月ごとにある川内1、2号機の定期検査の際は、約1200人の原発関係者が市内のホテルや民宿を拠点に原発に通う。
永井さんの民宿でも客の7割は原発関係者。検査時の稼働率は9割を超えていたという。

 しかし東京電力福島第1原発事故後に1、2号機の運転が停止し、経営は一気に傾いた。
稼働率が1割に満たない日も珍しくなく、土地と車を売って何とか廃業を逃れた。

 原発立地で活性化した街の経済は、ひとたび原発が停止すれば大きな打撃を受ける。
市は1、2号機の運転停止後の平成24~26年度、緊急経済対策として計約1億2千万円の予算を組んで商業振興を図ったが、
街に活気が戻ったのは再稼働に向けた安全対策工事が始まってからだった。