平成27年8月9日
産経新聞論説委員 渡部裕明 殿
湯澤 甲雄 84歳
横浜市南区大岡3-41-10電話045-713-7222
8月9日産経、日曜に書く<「父祖の歴史」を知ることから>を拝読しました。
記事のご主旨については、賛同するのでありますが、一か所についてはどうしてもご認識を改めていただきたいと思い、お知らせに上がる次第です。
それは「先の戦争が国際情勢に対する冷静な判断を欠き、妄想のような観念に突き動かされた無謀なものだったことは、疑いようがない」と、していることです。
実は、貴殿と全く同じ認識にあるのが、去る8月6日公表された所謂「有識者懇談会報告書」冒頭にあります。早速に同報告書提出先である安倍首相あてに、下記意見書を提出い
たしました。
別紙愚見をご覧の上は、我が国を戦争せざるを得ない道に追い込んで破滅させようと企む米国と欧州植民地主義国の前にあるものは、日本国解体と日本人の奴隷化しかなかった
という認識に改めていただきたいと思います。日本が如何に冷静な判断をしても、理想を述べても、結果は解体か、奴隷となるしかなかったのです。国際社会にも冷静さも理想など無
く、妄想しかない植民地主義全盛時代なのです。
国際社会が人間らしさを取り戻すのは、米国の学者が日本国憲法と教育勅語の道義に共鳴して、世界の自由、正義、平和を目的に国連憲章や基本的人権の概念を創造した1945年
以降のことになります。現在の価値観で過去の歴史を律してはならないのです。人々は、その生きる時代時代に、良かれと信じて懸命に生きたのです。
貴殿のご祖父やご尊父を含む大勢の日本人が、祖国を守るべくトコトン戦いまくったから、その結果として1945年ポツダム宣言や米軍一国による日本国占領という天佑神助があり、今の日本人が幸せに生きていられる日本国となることができたのです。途中早目に戦争を止めていたら、絶対に現在のような日本国は地球上には無いと信じるべきです。以上
<別紙>
平成27年8月8日
総理大臣 安倍晋三 殿
戦後70年安倍首相談話について(意見)
「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を抗争するための有識者懇談会報告書(以下「報告書」という)1、20世紀の世界と日本の歩み、アとイ」に、我が国が第二次世界大戦に突入していくことについて書かれていますが、「1930年代以降の日本の政府、軍の指導者の責任は真に重いと言わざるを得ない」としています。
この見解は、あまりにも短絡であると思います。東京裁判の被告とされた人々は、戦争に突入した理由を、「植民地主義諸国からじり貧に追い込まれていた」と称しており、それを
世界史的観点から素直に受け止めるべきであると思います。
第1は、1862年5月から約2ヶ月間、高杉晋作は上海に滞在しました。 上海で見た光景は、清国はアヘン戦争に負けた影響で、事実上欧米の植民地になり、白人によってPig tail と称されて動物以下にさげすまれ、平身低頭しておもねるばかりの支那人(国家、国民の意識が無い)がありました。晋作は、このままでは、日本は清国と同じ運命をたどってしまうとの思いにかりたてられました。 その思いが多くの日本人に浸透して、日本人自身が進むべき道を積極的に独立国の方向に決定づけることになったのです。
(追加資料1、)1852年、中国アモイから金採掘又は大陸横断鉄道敷設のため、カリフォルニアへ航行中のアメリカの奴隷貿易船、ロバート・バウン号内で、400人の中国人を裸にし、辮髪を切り落とし、CやPの焼き鏝を胸に押し当て、売り物にならない病気持ちは海に突き落として鮫に喰わせたところ、奴隷にされたことを知った中国人は暴動を起こした。
苦力は米国人船長と船員を殺して船を操縦したが、2月19日に石垣島の崎枝村沖合で座礁し、380人の中国人苦力が上陸した。その後、離礁したバウン号の報告を受けてイギリス船2隻が石垣島に来航し、3月16日に富崎の収容所を砲撃し、さらに武装した兵士200人以上が上陸して逃走した苦力を射殺・捕縛して、白人に抵抗した見せしめにその場で百人近く
を吊るし、3月23日に出航した。
(追加資料2、)アヘン戦争を発端として、華南一帯がイギリス資本主義の進出による農村経済の解体に直面し、流浪の旅に出ていかざるを得ない農民たちを生み出した。現在東南
アジア全域に散在している「華僑」の父祖のほとんどは、アヘン戦争以来生み出された流亡農民の出である。彼らを東南アジアに連れて行ったのは、白人植民地主義者たちのピッグト
レードと称する奴隷売買によるものでした。アヘン戦争は、米南北戦争の影響で世界的に黒人奴隷使役ができなくなったために、その代替として支那人を使役する目的で攘夷国清国
に開港を迫る戦争であったとも言われている。(資料出所「華僑」タイ クオ フエイ著、研文出版1980年11月20日)
第2は、清国の植民地化の我が国に与える影響です。アヘン戦争に勝利した英国はじめ白人植民地主義者は、読書きそろばんのできる支那人を使って、港と河川の通行権を支配し、関税制度を設けて広範な組織的収奪体制を整えるとともに、財閥系地場企業を買弁資本家に転じさせ、市場独占を狙って保護貿易政策を支那大陸や東南アジア一帯に導入し、我が国の貿易を窮地に追いやりました。同時に植民地主義者は、独占利益の確保と拡大を目的に、買弁資本と共に傀儡軍・蒋介石軍を作り、日本軍を支那大陸に引きずり込んで消耗戦を強いて日本国の衰亡を待つとともに、日本侵略のための橋頭堡としました。日本国を滅ぼす目的をもって作られたソ連のコミンテルンは、日本国内にその組織を作り政権の中枢に浸透するとか、支那大陸に軍隊を創設して、日本軍が蒋介石軍と戦って衰弱することを待つことも行っていました。その軍隊が、現在の中国共産党軍です。
我が国の原材料の輸入は世界の市場を支配した独占価額で買わされ、我が国の製品の売値は大部分が注文生産品である他に独占市場であるために言い値で売らされる等、不平等極まりない交易条件の下におかれていました。日本側の言い値で売れる商品は、マッチと仁丹だけだったといわれています。正に日本国は、じり貧に追い込まれたのです。そして、じり貧から逃れるために独立国としての唯一残された道が満州人の支配する地域(注)への進出であり、戦争への道であったのです。
(注、満州が華人の領土であった歴史が無く、華人の居住はゆるされなかった。満人は広大な領土にわずか60万人が居住するのみで、そこにロシア人は力で進出して満州、遼東半島を支配し、釜山近辺に軍港建設を朝鮮王朝と進めた。)
独立国であることを放棄すれば、日本国は米英ソ中4か国ぐらいに分割され、国家や、共同体、家族をバラバラにされて、現在の黒人、アラブ人、中国人同様にアイデンテテイを亡く
して、保証人不在の「個人の自由と権利」しか持たない流浪の民となっていたことでしょう。
ともかく日本国は、欧米の植民地主義諸国を除いて、自らの領土、民族、文化、伝統を分割されず守り抜くことができた世界で稀有の国家であり、国民が幸せに生活している現実
を見るならば、黙々として命をかけて残してくれた先人の愛の心と先見性にただただ感謝の念のみがこみ上げてくるのであります。
嘗て奴隷貿易廃止から200年を迎える英国のブレア首相が、謝罪の一歩手前とも言える「深い悲しみ」を表明したことがあります。それも黒人奴隷貿易に関する表明のみで、17百
万人強に上るピッグトレードやアヘン戦争等の明白な侵略行為に関しては、全く言及が無く、また、中国政府側からも何の声も上がっていません。侵略者に対する累々とした歴史認
識は、国連憲章を遵守することにより償いを免じる国際理解が成立しています。以上