■5.「敵の生肝(いきぎも)を、この口で、この爪で抉(えぐ)ってやるのだ!」
朝日は戦争スローガンの大キャンペーンも行った。「撃ちてし止まむ」は、昭和18(1943)年2月に陸軍が決戦標語として選定した「古事記」の一節で、「敵を撃ち滅ぼそう」と言う意味である。朝日は紙面で計13回にわたり、「撃ちてし止まむ」のタイトル付きの記事を連載した。
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幾たりかの戦友が倒れていった。“大元帥陛下万歳”を奉唱して笑いながら死んでいった、、、。今こそ受けよ、この恨み、この肉弾! この一塊、この一塊の手榴弾に、戦友のそして一億の恨みがこもっているのだ。敵の生肝(いきぎも)を、この口で、この爪で抉(えぐ)ってやるのだ!
戦友の屍(しかばね)を踏み越えて、皇軍兵士は突撃する。ユニオン・ジャックと星条旗を足下に蹂躙して、進む突撃路はロンドンへ、そしてワシントンへ続いているのだ、、、[1,p137]
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朝日は、この記事に呼応して、「撃ちてし止まむ」のスローガンとともに、星条旗とユニオンジャックを踏みつけて突進する兵士の姿を描いた100畳敷きの巨大ポスターを東京と大阪に掲げた。
ここまで来ると、もう完全なプロパガンダ機関である。しかも、大東亜戦争の目的は開戦の詔勅で述べた「自存自衛」であり、ロンドンやワシントンを征服することではない。
朝日は、これをも軍部の強制と言うのか。時世に迎合して、国民を煽り、部数を伸ばそうという卑しい商売根性ではないのか。いかに言論統制下とは言え、真の新聞記者なら、こんな扇動的な文章を書くよりも、黙って筆を折るだろう。
■6.「本土決戦に成算あり」
その後、戦況は日に日に悪化し、硫黄島の守備隊が玉砕して、そこから飛び立った爆撃機が、日本本土を空襲するようになった。その後に及ぶと、朝日は本土決戦を訴える。
昭和20(1945)年3月8日朝刊では、東京への大規模空襲が始まっている中で「本土決戦に成算あり 我に数倍の兵力、鉄量 敵上陸せば一挙に戦勢を転換せん」との見出しで、本土決戦なら特攻や沿岸の巨砲、数百万の精鋭で敵を壊滅できるとし、「銃後国民も第一線将士とともに文字通り銃をとって戦わねばならぬ」と主張している。[1,p111]
3ヶ月後の6月16日朝刊では、沖縄も奪われた段階で、「本土決戦、一億の肩に懸(かか)る 我に大陸作戦の利」との見出しのもと、鈴木貫太郎首相が記者会見で述べた、本土決戦で「たとい武器においては劣るとしても、必勝の道はあると確信する」という発言を引用している。
この調子で、冒頭に紹介した降伏前日の「一億火の玉」記事まで、朝日は抗戦一本やりの紙面を続けるのである。