沖縄独立論について
沖縄独立論は、全て沖縄県民が日本人ではなく、琉球王国は、日本ではないというところから始まっている。所謂「薩摩入り」により琉球が薩摩に間接統治されるようになったのは、奥州の藤原氏が源頼朝により滅ぼされたのと、また甲斐の国の武田氏が織田信長により滅ぼされたのと同様に「国内問題」である。
薩摩藩が琉球を、奄美と同じように薩摩藩の一部にしなかったのは、琉球を通じて中国貿易を独占したかったからだ。
琉球は奈良時代より前、今から1700年前に南九州から南下してきた日本人が作った国である。
その言語は、学問上日本語の姉妹語と言われ、長州弁、土佐弁、大阪弁と同様に日本語の一方言である。
廃藩置県は、日本の国内法である。明治になり、琉球は沖縄県になったが、薩摩藩は鹿児島県になり、伊達藩は宮城県になった。同じことである。
琉球は、中国に毎年朝見をしたが、それは中国貿易を独占したい薩摩藩の指示であり、琉球は江戸幕府へも使節を派遣していた(琉球の江戸上り)。
琉球は、薩摩藩が間接統治していたが、日本自体が朝廷(天皇)から権限を委譲された徳川家が間接統治をしていた。
琉米条約は意味がない。江戸時代、外国と条約を結んだ藩は他にもある。(薩英条約等)。
徳川幕府自体、天皇の勅許を得ないで、勝手に諸外国と条約を締結し、その違法性を問われて、大臣(大老)が暗殺されている。(桜田門外の変)。
明治になり、江戸幕府を始め諸藩の締結した条約は、天皇御親政の明治政府に引き継がれた。琉米条約もその類いである。
廃藩置県の定義など意味がない。廃藩置県は日本の国内法である。
琉球王は、他の諸藩の藩王と同様に日本の国内法に従ったまでである。
琉球は沖縄になったが、薩摩藩も鹿児島県になった。
沖縄県民は、1700年前から日本人が居住している地である。他の県同様に、時代により支配者は変わっているが。
天皇家は2670年、沖縄県は1700年である。奈良時代より前からある日本人の地である。
日本人は、鈴木宗男氏の与太質問に騙されてはいけない。
琉球独立論は、琉球王国が他民族、他国家の場合の話である。しかしそれはあり得ないことは、今述べたとうりである。
平成26年10月20日
菊地 正