衆議院議員
義 家 弘 介 先生
机下
平成26年8月16日 篠 田 亮
暑熱のなか、公務ご精励のことと衷心より謝意を申上げます。
明後18日、全国教育問題協議会教育研究大会での基調講演拝聴が所用発生叶わぬことなり、先生の今後のご活動にご斟酌賜りたく、日頃考え居ることを下記の通り申述べます。ご無礼の段、平にご容赦願います。
記
1.教育委員会改革の件
伝えられるところでは、教育委員会に対する首長権限強化が眼目とお見受け致しますが、問題の本質に迫っていないと思います。
本質は〝教育労働者の労務管理”適正化でなければなりません。
初・中等教育施設の太宗の管理・運営は市町村所管ですが、教員の身分は政令市を除き都道府県職員で、その人事権も都道府県にあり、市町村教委にないことが労務管理の不徹底や隙間を作っていることです(学校単位の労組分会が事実上の交渉団体化し、管理職の寡少もあって事勿れ管理が慣行化。果ては退職校長会・教頭会なども教委事務局から小遣い稼ぎの施しを受けている)。
管理職寡少は総括教諭の管理職発令を断行で対処。
首長や一部政党も、子弟を虜にされた保護者への公職選挙影響力を利用価値大としているのが実情(内申書のマイナス面)。
現行制度半世紀以上の垢とは言え、キョウイクに碌な見識もない首長権限を強化しても殆ど効果はない(教育委員会も事務局の翼賛機能だし、その選任のシナリオも事務局脚本通り)。
手始めに、教育委員の目・耳・手となる直属スタッフを設けたい。教員免許不要に改定された指導主事職を活用すればよい。
教委は合議制というが、地自法、地教行法のその定めなく、採決原則を励行。会議録公開も迅速化。委員解職請求規定も緩和必要。
2.教員養成制度
大学教職課程や教育系大学の偏向はこれも70年の歴史で容易ではないが、先ずは教員免許取得の道を大幅化拡大し、愚にもつかない科目などによる労組専横を改革。より広範囲の人材を活用。
3.公設民営化の試行
その昔、勤評闘争なる騒擾あった。文部省内藤初等中等教育局長のような硬
骨の士は払底。上に記したよう改革は殆ど不能だろう。
ついては、民営化しかない。戦後労組勢力(実は政治勢力)の戦闘部隊であった国労・動労を正常化したのは第一に民営化であった。国鉄には交通機関としての経済的困窮があったが、教育界の問題は国の将来に関ることで、実情を知れば国民の理解は得られる筈。緻密な計画と断行あるべし。
労働関係正常化の唯一の策(占領戦略もあっての戦後労働運動問題の改革は実は石油ショックでの国民覚醒であった。労使は実は同じ蓮の葉に存在)。
全国自治体首長に同志少なからず。周到な準備で施行を検討して欲しい。
4.道徳教育など
戦後の社会は人間造り能力を失なった。占領統治戦略の影響もあるが最近の諸現象・事件からは、物質的豊かさを只管求めてきた結果(人間の業だが)。
国旗、国歌、勅語を熱心に語る向きあるが、最早その次元ではない。
明治以降の制度などの手には負えない。江戸期に既に我が民度は恐らく世界最高レベル。それは人間の本質を感じさせ、研鑚と実践を経て己を陶冶する文化が社会に確立していたからと思う。
ジユウ、ミンシュ、ジンケン、コジンだのと何の留保もなく受入れてきたこと
にある。人間の本質を思索し幾百.千年の陶冶を経た宗教も放擲した我等の問題がここに在る。山本七平氏の喝破した日本教には経典がないことの欠陥が露呈(世間様が師だが、その世間が崩壊してしまった)。
然らば江戸時代の人間教育を再考し、再興を研究すべきかと思う。
知識の量を測ること(問題集コナシも同じ)に過ぎない教育を抜本見直し(実践から得られたことの思考を重視)しないことには日本は取り戻せない。勅語ではなく、いろはカルタ見直し、日本語を破壊しつつある2音節語(ヤバッ、ウマッ、スゴッ 多々。感性の粗雑)の氾濫抑制。
人間を考える教材の発掘(徳目ではなく生身の人間、野口英世や中江藤樹の母、山中鹿之助、候補は幾らもある。映画「男はつらいよ」も良い。)
左翼も攻撃し難い筈。
長々と贅言弄し申訳ありません。ご覧下さり有難うございました。
今後の御活躍において、ご斟酌賜らんことを願っております。 (了)