憲法改正は「基本的人権の定義」の策定から始めよ | 日本世論の会 本部

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高乗正臣先生へ

湯澤甲雄 横浜市南区大岡3-41-10 電話045-713-7222 元東京銀行ソウル支店長83歳

高乗先生が国民の憲法講座第54講にてご指摘した「歴史的な国民共同体」国家については、国際人権規約における「基本的人権」の定義がこれに該当するものと思われます。そこで、憲法改正運動を推進している日本会議に対し、下記意見書を提出しましたので、ぶしつけながら「写し」を送付させていただきます。

憲法改正は「基本的人権の定義」の策定から始めよ(意見)

 憲法改正の必要性が種々提起されていますが、「国民に永久に保障する」と最大、最高に保障するとしている「基本的人権」の具体的内容について定義されたものが現行憲法のどこにも見当たらないのですが、改正論にはこれを追及、解明する姿勢が全く見られません。自民党憲法改正草案や産経新聞国民の憲法要綱においても、明治憲法時代の法律には無かった「基本的人権」を用いながら、「個人の権利」と混同しながら曖昧模糊のままに扱われています。所謂人権条文の扱い方が理解されていない結果です。
 憲法改正を行わんとする国民の願いを端的に表せばそれは、日本人の伝統的精神を尊重し、国民が国家に誇りを持ち愛する「歴史的な国民共同体」の憲法が作られることにあります。然りとすれば、そのことを真正面から採りあげた憲法策定作業に取り掛かるべきです。
 目を転じて国連憲章とそれと一体を成している国際人権規約(covenants)には、国連の各加盟国国民の基本的人権は世界の自由、正義、平和の基本であり、加盟国はそれを尊重し保障することを締約すると規定しています。勿論我が国も締約しています。人権規約における基本的人権の定義は次のとおりです。「recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family」<意訳、人間家族とそのすべての共同体の人々が長年にわたって築き上げてきた認められた固有の尊厳(=習俗、習俗神道、天皇制、祭り、伝統、文化、道徳、法律、領土、財産等)と同等で裂くことのできない正義(=人間愛)。> 即ち、憲法第11条の国民の基本的人権の内容を、意訳のものとすべきです。これであれば「歴史的な国民共同体」の憲法となって国民の願いと合致し、recognitionする事務局の設置を含め基本的人権の定義が固まり、憲法改正の大方の仕事は完結したことになります。
 また国際人権規約は、人々が「自由」であることを保障するために、第3章において人工的に創設した「個人の自由と権利」を定めています。これらは憲法においては第12条及び第14条から40条に至る条文に反映されています。 更に国際人権条約は、「自由」と「個人の自由と権利」は常に「基本的人権」を増進擁護する義務があると規定し、「基本的人権」なき処では「自由」と「個人の自由と権利」は単独では有効と認めないという法秩序を設けています。このような国際人権規約の法秩序を採り入れて策定されるならば、自由民主主義国家の憲法の骨格が定まります。 
そこで他の憲法改正すべき条文や変更すべき解釈は次のようになります。
1、憲法前文を日本人の誇りを傷つける文章を削除し、訂正する。
2、平和憲法の所以は、基本的人権の永久を保障した第11条にあるので、9条の会と対抗できる。
3、自衛権は、個別的、集団的を問わず国民の基本的人権を永久に保障した第11条の文中に含まれる。
  武力の行使は、第11条の下に行われることになる。
4、第11条において永久に保障した自衛権を制限する憲法条文第9条は、削除されることになる。
5、第12条末尾、「常に基本的人権の増進擁護のためにこれを利用する責任を負う」と改める。
6、憲法第13条冒頭文「すべて国民は個人として尊重される」はマッカーサー憲法草案第13条の誤訳の
  ため削除。並びに「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、基本的人権として永久に保障さ
  れる」と改める。
7、第19条「思想良心の自由は、これを保障する」と変更する。
8、第20条3項「国及びその機関は、習俗宗教を除いて、宗教教育その他いかなる宗教的活動をしては
  ならならない」と改める。(靖国神社参拝は、国民の習俗であり、基本的人権にして、国際人権規約
  第5条により他国がこれを制限することは許されない。)
9、第97条(基本的人権の本質)は、不要につき削除する。以上