武士道とは何か(行動原理)
(2013,12,5武士はなぜ刀を二本差すのか)の中で武士が刀を二本差すのは戦う者を表し、武士以外が一本差すのは護身のためであると書きましたが、それでは武士は何のために戦うのでしょうか、つまり武士道とは何かということですが、武士は名誉と義(忠義、大義、正義、義理など)のために戦うといえます。 義の中でも忠義が重視されますが、浪人していても武士は武士であり名誉のために戦います。 これらの行動原理に共通することは、積極的、能動的ということであり、自己責任と自らの意思による発動であり、そのためには死をも恐れないということです。 切腹も自らの意思によるものと言えます。つまりあくまでも自から行うということの貫徹です。 これを現憲法での武力の状況を考えてみますと、刀を一本差す武士以外と同じといえます。武力は専守防衛のためであり、他が直接攻撃してきた場合のみ使うとされており、しかも一本の刀も出来るだけ短くするといった状況です。つまり、あくまでも受動的であり能動的が本質である武士道とは相反するということです。 この考えを基に現憲法について考えてみます。 現憲法では武士道の行動原理である義(忠義、大義、正義、義理など)が否定され、積極的、能動的行動が出来なくなったばかりか、過去の義や名誉(アジア解放の大義など)まで否定されるといった状況になっているといえます。 さらに靖国神社について考えてみますと、靖国神社は武士の祭られているところですから、大義のために自からの意思で戦って亡くなった英霊が祭られているところであります。 武士の髷が兜を被って戦う者の印ということを補足しますと、平安鎌倉頃の兜には天辺に穴があり、そこから髷を出して兜を固定したことに由来します。