◎盾は種類も多く、また使用法も多様ですが、ここでは手持盾についての話をします。

手持盾の使用は鎧・刀剣・弓・騎馬と次のような相関関係があります。

●鎧が発達すると盾は不要となる。

●剣は長いほど有利であるが、長いと打ち合った際に折れる可能性が高くなり、また重くなり片手では使えなくなる。したがって盾と短い刀剣を使うか、長い刀剣を両手で使うかの選択となる。

●弓は両手が必要なため射手は盾が持てない。

●鎧が発達すると重くなるため騎馬が必要となる。

●盾は基本正面一方向の防御であり、全周を守ることが出来ないため騎射混戦には役立たない。

●騎兵は片手で手綱を持ち、片手で刀を持つため盾は持てない、また刀を持った手側の敵と戦うため反対側の手に持つ盾は役立たない。

◎日本の武士が登場した平安鎌倉時代頃の武士の戦法は、騎馬武者が近距離で弓を射ち合う騎射戦が主であった。(流鏑馬は近距離の騎射戦の訓練の名残です。)

騎乗で弓を射るためには両手が必要であり、片手に盾を持つことはできません。また騎射戦は混戦となるため全周をまもる鎧が発達しました。

矢を防ぐことができる程の鎧は重量がありましたが騎馬のため可能でした。

矢(標準24本)を射尽すと刀を抜いて戦いました。この場合も片手で手綱をとり片手で刀を使いました。その騎馬戦用の刀として日本刀が生まれました。

騎乗での戦いには刀の長さも必要ですが、片手で使うためには重くなっては使えません、この長くても重くならず、折れにくくするための解決策として、刀心に軟鉄を入れて柔軟性をもたせ、また刀に反りを付けて打ち合った際の衝撃が分散されるようにしました。

反りには馬上から切り降ろすと力が増加する効果もあります。(騎兵の使う刀は世界的に見ても反りが付けられています。)

騎馬戦用として作られた初期の日本刀では柄は片手用で短く、また刀身は先端が細身となっており、これは騎馬武者同志の戦闘の際、太刀先を素早く動かして、相手の鎧の隙を刺すためと考えられます。

以上を整理しますと、武士はなぜ盾を使わなかったのかという疑問の答としては、

武士の戦闘方法の中心であった騎射戦と騎馬戦に適した鎧が発達したため。ということになります。

騎射戦では盾よりも鎧が有効だった例として次の二話があります

義経が土佐坊の夜襲を受けて戦った後、義経の鎧には蓑のように多数の矢が刺さっていたという話があります。(義経記・堀川夜討)

武田家の家宝は楯無鎧(盾が無くても矢を止めることができる鎧)と言われました。