【探訪】真田.徳川会見之地・長野県上田市 | 地方史愛好家 ab.nan27

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第二次上田合戦
碑:
所在地:長野県上田市国分・信濃国分寺内

経緯:
慶長5年 徳川家康、五大老の一人・上杉討伐を決め会津に向かう。

8月24日 石田三成挙兵。家康は江戸城へ、徳川秀忠は中山道の制圧

9月2日 秀忠、小諸城に到着

9月3日 真田昌幸へ使者を送る。信濃国分寺で会見

9月6日 第二次上田合戦

9月10日 秀忠、関ケ原に向かう

上田軍記では、
 「慶長5年9月4日の夜に秀忠公は信州小諸の仙石越前守の居住に着き、本多美濃守忠政と真田伊豆守信之の両人を御前に召されて、上田の城への使者を命じられた。
両人が上田に着くと、真田安房守昌幸は両使を国分寺に待たせ置いて、城よりやって来て対談した。これは籠城のためであった」とある。

雑感:
 旧梵鐘の銘に「永禄天正の頃、兵火の災にかかり本堂坊舎残らず焼失」とあり、その境内地で行われた会見は、昌幸の掌中にあったように思います。
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