第二次上田合戦
碑:
所在地:長野県上田市国分・信濃国分寺内
経緯:
慶長5年 徳川家康、五大老の一人・上杉討伐を決め会津に向かう。
8月24日 石田三成挙兵。家康は江戸城へ、徳川秀忠は中山道の制圧
9月2日 秀忠、小諸城に到着
9月3日 真田昌幸へ使者を送る。信濃国分寺で会見
9月6日 第二次上田合戦
9月10日 秀忠、関ケ原に向かう
上田軍記では、
「慶長5年9月4日の夜に秀忠公は信州小諸の仙石越前守の居住に着き、本多美濃守忠政と真田伊豆守信之の両人を御前に召されて、上田の城への使者を命じられた。
雑感:
旧梵鐘の銘に「永禄天正の頃、兵火の災にかかり本堂坊舎残らず焼失」とあり、その境内地で行われた会見は、昌幸の掌中にあったように思います。
ab.nan