第一次世界大戦が「天佑」とは

昨年より

原始の時代から書いてきました

この私のブログですが、

 

それ以前のブログとつなげながら

バージョンアップしています。

 

いわゆる「世界史」と「日本史」

を分けずに

「日本と繋がる世界の歴史」

「世界と関わる日本の歴史」

を目指しています。

 

明治以降の戦前の日本と戦後の現在の日本の

違いは少なからずあります。

 

その一つは

戦前日本は10年ごとに大きな戦争をしていたこと。

戦後日本は一度も戦争をしていないこと。

 

その他については、

いずれ後々機会をつくりたいと思います。

 

国の根本であり国民の精神の基である

明治憲法と現日本国憲法は、

主権者も含めて大きな違いはありますが、

どちらも一度も改正されていない

という点では同じです。

 

明治憲法(大日本国帝国憲法)

1889年施行~1945年まで約56年(明治維新から約80年)

 

日本国憲法

1947年施行~2024年現在まで77年

 

渡部昇一氏をはじめ、

明治憲法の欠点が先の米英戦争の原因の一つだ

と語る識者は少なくありません。

 

何が欠点であったかはこれから

徐々に述べていきますが、

 

簡単にいうと時代に合わなくなっていた

ということです。

 

  戦前の日本が戦争をしなければならなかった理由


江戸時代末期に締結された
不平等条約は、20世紀の初頭には解消され、

 

いわば、晴れて正真正銘

独立国となったと言っていいと思います。

 

その背景には、

その日本人が今度はヨーロッパ化して
産業革命もヨーロッパでさえ

百年かかったところ
 

40年あまりで成し遂げたという

偉大としかいいようのない国民の存在

があるといえるのではないでしょうか。

 

要するに私たちの祖先というには

あまりにも近いご先祖様です。

 

しかし、

日清戦争と日露戦争での勝利

があったことは否定できません。

 

帝国主義の時代、

軍事力があっての外交を含めた国力こそ

必要な時代でした。

 

もっともそれは現代も変わらない

というのが現実だと思います。

 

日本という国は
世界の中では特異な存在だ

といわれます。

 

最近では、サミュエル・ハンチントン氏が

「文明の衝突」で述べています。

 

日本は世界のどこの文明にも属さないと。

特異な存在というとよく比較される
「日本人とユダヤ人」にもありますが、
 

イザヤ・ベンダサンの著作名でもありますが、
どちらも、

宗教的にも文化的にも

世界の共通した文明圏に属さない
独自の歴史・文化をもっています。

つまり、世界三大宗教である
キリスト教圏でもなく
イスラム教権でもなく
仏教圏ではありますが、

おおよそ日本の宗教が
仏教ひとくくりとは

いいがたいものです。
 

「神仏習合」というくらい
神様も仏様もごった煮です。

よく日本人(自分)は無宗教だ
といいますが、

そんなことはないと思います。
 

お盆には墓参りに行くし、
お正月は初詣はするし、

宗教家の山折哲雄氏は、
神道+仏教+祖先信仰+怨霊信仰+山岳信仰
と、数々の神様、仏様が生活の中で
浸透してしてきたといいます。

 

そして日露戦争で勝利した明治の時代が終わり、

大正時代がやってきます。

 

ちょうど、高度経済成長をも達成して

バブル経済にさしかかろうとしている

昭和末あたりに似ていると

私は思っています。

大正天皇即位の大礼を祝う「東京大正博覧会」が、
1914(大正3)年3月に開催されて
7月末までに750万人の参加者という盛況でした。

  

  第一次世界大戦が日本にとって「天佑」とは?

 

ちょうどそのような時、
第一次世界大戦が勃発しました。

 

病床にあった井上馨がこれを「天佑」として
その考えを政府に伝えると
 

イギリスとの同盟をもとにした
アジアにおける日本の利権の確立という
「天佑」論が強まっていきます。

「天佑」とは天の助けです。

 

井上馨の「天佑」論に乗った

ということなのでしょう。

実は、この部分がどういう意味なのか、
どうしようとしていたのか
いまだに不明な点が私には多い

というのが本当のところです。

第一次世界大戦とはいえ、
戦場は、遙か彼方ヨーロッパです。

 

そう当時の日本は思っていたらしいのです。

今はさすがにないと思います。

「戦争」をもって「天佑」…天の助け
とは、こんなことを言ったら
 

今じゃあっという間に世界を駆け巡り
炎上だけでは済まないでしょう。
 

「天佑」ならぬ「天罰」となって
国際的不信感となることは必定です。


そういう意味ではなかったかも知れませんが、

もしかすれば、この段階で40年後の日本を
予言するかのような失言だったかも知れません。

 

ただ、この発言は、政府関係者へのもので

どれほど公になったのか、

まだ調べる余地があります。

「対岸の火事」的発言ともとらえがちですが、
この段階で「日英同盟」も

しっかり存在しているのです。

 

今の日本にもいえることですが、

日本政府は、不平等条約撤廃後の日本を

どうしようとしていたのか、

ということなのだと思います。

 

たしかにこの段階で日本は、

日露戦争の負債が20億円ほどで

この当時の国家予算の2倍近くでした。

 

日本の様々な問題が解決できる、

そういう意味での「天佑」

だったようです。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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