止められなかった第一次世界大戦

 

帝国主義といわれた時代、

実はこの「帝国主義」という用語も

マルクスがつくったと聞いたことがあります。

 

「資本主義」の欲望のバケモノが

「帝国主義」ということで、

だからこそ、自由より平等を重視の

「社会主義(共産主義)」が生まれたわけです。

 

社会主義と共産主義は正確には違いますが、

資本主義に対しては同列で同じ

としておきます。

 

結果はすでにでてしまっている

というのが大方の人々の評価だと思います。

 

かといって「資本主義」がいい

とは言い切れません。

 

現代は、この帝国主義の時代ではありませんが、

経済格差、貧富の差が拡大している時代です。

 

特定の裕福な国家ではなく

いわば特定企業です。

 

 

  人間の欲望が生んだ帝国主義

 

18世紀から19世紀にかけて
ヨーロッパは人口が

2億人以上は増加しています。

 

こういうのは、

教師になって調べて

初めてわかったことです。

帝国主義というのは、

こうした人口増加に対する
国の政策でもありました。

この時代、国民国家の時代となり
主権者は国民となりました。

17世紀頃はまだ、国王が有産階級、

つまり商工業者を保護して、特権を与えて
その代わり税を徴収して贅沢をしていました。
 

有産階級も

豊かな生活をするようになりました。

 

有産階級というのは

要するにお金持ち

今でいう富裕層。
 

その有産階級は、

国王だけの特権に

我慢がならなくなります。

 

自由や平等という

「人権」という正義を

考え出します。

 

裏を返すと

国王が邪魔になり
国王より豊かな生活をしたい

 

という願いが
市民革命となったといっても

間違いではありません。

 

つまり、われわれ(市民階級)だって

いい生活をする「権利」がある

ということです。

いってみれば欲望の塊で

それが産業革命をも起こしました。

 

欲望は、仏教の三毒

怒り・欲・妄想の一つです。

 

ただ、欲がないと生きていけないことも

確かです。

 

「生きたい」というのも欲ですから。

 

カトリックはそれを禁じていましたが、

プロテスタント、特にカルバン派は

神様は

「一生懸命働いて豊かになることはいい」

っていっているとなります。

 

いち早くそうした国民国家になったのが
イギリスとフランスです。
 

国民を食わせるため、

自分たちが豊かな生活をするため
アジア・アフリカは植民地になってしまった

わけです。

 

そこには、

キリスト教の白人文化が

有色人種の野蛮な文化より優れている
という確かな驕りがあったことは

否定できません。

 

ダーウィンの進化論もその背後にある

ということはいわれています。

 

実際に黒人はサルに近く、

白人が最も進化した人類

という理論はあったそうです。

そうでなければ、

同じ人間を奴隷にはしないでしょう。
さらに、労働は、

(アダムとイブが受けた)罰ですから
肉体労働を軽視する傾向はあります。

  

  第一次世界大戦は植民地獲得競争のゴール

 

イタリアやドイツは、

イギリスやフランスに遅れて
統一されました。
 

日本の明治維新と同じ時期です。

ちなみにロシアはさらに遅れて
当時でも世界有数の富裕層といわれる
ロマノフ王朝と少数の貴族、

あとは農奴の国でした。

 

中間層がいないわけです。

市民階級とはいわば中間層です。

 

それがいわゆる有産階級

でもあります。

先行してほぼ英仏領となったアフリカに、
可能性があれば、
隙をついて植民地を奪おうとする

動きも活発化した時代です。

日露戦争中にドイツは、
モロッコを勢力下に置こうとしましたが、
英仏協商(1904)を結んだ
イギリスはフランスにその権益を承認しており、

1911年の再度の試みも、
かえってフランスの保護国化を

早める結果となりました。

同じ年、イタリアは

オスマン(トルコ)帝国に宣戦布告し、
 

アフリカのトリポリ・キレナイカを

割譲させて植民地としました。

これに乗じて

ドイツとオーストリアの

バルカン進出を阻む目的で
 

ロシアが秘密裏に結ばせたバルカン同盟、
セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシャが、

オスマン帝国に宣戦して勝利しますが、
勝ち取った領土を巡って今度は、

 

バルカン同盟が

対立して戦争となってしまいます。

第一次世界大戦 ヨーロッパ

欧米列強は、植民地を獲得することに           
鎬を削って戦争を繰り返していました。
 

この当時軍事力がその国の運命、
つまり国民の運命を決する

大きな要になっていた時代です。
 

それは今も変わりないという

リアリズムからまず目をそらさないこと

が大切だと思います。

 

欧米列強が市場を求めて

植民地を獲得することを目指す中、
 

日本はその中にあって

自国の独立を守ることに必死でした。
 
この動きの中、
オーストリア(・ハンガリー帝国)が
隣国ボスニア・へルツェゴビナを併合すると、
 

ロシアと同じスラブ系民族多数のこの国は

激しく反発します。

そしてセルビア人青年(スラブ系)が、
ボスニア・ヘルツェゴビナを訪問した
オーストリア帝位継承者夫妻を暗殺します。

すぐさまオーストリアがセルビアに宣戦すると、
ロシアは同じスラブ民族保護を目的に宣戦をします。

これに対してドイツがすぐさま宣戦布告すると、
ロシアと協商を結んでいた

フランスとイギリスも宣戦布告をし、

瞬く間にヨーロッパを巻き込む戦争となりました。

 

この辺は教科書通りです。

どうせ、2週間もすれば戦争は終わる
クリスマスまでには戻れる
どうもこれが、合い言葉だったようです。

しかし、

国王が自ら私費で雇った傭兵同士の

これまでの戦争と
 

国民が国の存亡を賭けて戦う戦争では、
まったくその規模も残酷さも違っていました。

これまでは、

目的を達すれば終了の限定戦争、
 

国民国家が望む戦争とは、

国民総力(政治、経済、軍事)をあげて戦う総力戦

日本には、

この時点では遙か遠いかなたの戦争でした。

 

そう思ったことが

第二次世界大戦時の巨大なツケとなりました。

 

日本は、この戦争の総力戦のなんたるかを

知らないでおわりました。

 

新兵器タンク(戦車)が

どんな武器かも知らなかったという

記事もあるそうです。

 

残念ながら、ウクライナの出来事は、

日本も当事者として最悪のことを考えていないと

また同じことを繰り返します。

 

歴史的にいえば、

1853年、クリミア戦争で敗れて

クリミアとは、あのクリミア半島ですが、

 

南下政策が不可となったロシアは

極東(朝鮮半島)から南下する港を

建設しようとします。

 

つまりこれが日露戦争になります。

 

「歴史は繰り返す」

このことばは、

歴史から学ぶことのできないことを

示唆していると思います。

 

歴史家の磯田道史氏は

「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」

といっています。
 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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