キリスト教という文化と多様な民族が存在するヨーロッパ

 

大アジア主義という考え方

がありました。

 

時代と共にその考え方は

変化していたと考えられるので

単純にはいえないにしても

 

アジアが団結して

欧米に対抗して独立国家を維持していく

そういう考え方だったと

思います。

 

有名なところでは孫文も

その一人であり、多くの日本人も

協力や支援を惜しみませんでした。

 

しかし、やがて孫文は

日本に批判的になり亡くなります。

 

同じアジアといいますが、

中華文化圏はありましたが、

日本などは

その文化や宗教、歴史ともに

いうまでもなくまったく異なります。

 

ヨーロッパはというと、

民族はモザイクのように多様ですが、

キリスト教圏という

同じ宗教や文化を共有しています。

 

 

  EUの過去に1000年の争い?

 

1958(S33)年、

EEC(ヨーロッパ経済共同体)

が発足します。

 

発足時は、

ドイツ、フランス、イタリア、オランダ

ベルギー、ルクセンブルグ

の6か国でした。

 

現在、EUとなり加盟国は、27か国です。

イギリスは2020(R2)年1月に離脱していますが、

加盟申請国は少なくありません。

EU ブリグジット後

もともと、ドイツとフランスは

国境のアルザス・ロレーヌの鉄鉱石と石炭を

1000年に渡り争奪戦を繰り広げてきました。

 

年表をつくって生徒に渡すと

「戦争しかしてないね」

という発言が多くあります。

 

そうなんだ、1000年かかって気がついたのが

協力すればいいんだということ。

 

とできたのがEEC。

たったこれだけのことに1000年も

要したのかとも考えることができます。

 

これをよかったと思うか、愚かだと思うか。

 

アジアの中でも特に日本は

近隣諸国と近いようで文化や歴史が

まるで異なるのに対し、

 

ヨーロッパは、キリスト教とその文化で

類似性が高く、

それ故EUとしてもまとまりやすい

とはいえます。

 

しかし、実際には

1000年も争ってきた歴史がある

ということです。
  

  「ヨーロッパの火薬庫」といわれたのは?

 

かつて、
「七つの国境、
六つの共和国、
五つの民族、
四つの言語、
三つの宗教、
二つの文字、
一つの国家」といわれた
ユーゴスラビア(1929~2006)という国が

バルカン半島にありました。

 

現在はその宗教や言語などの複雑さのとおり、
クロアチア、スロベニア、セルビア、ボスニア・
フェルツェゴビナ、モンテネグロ、北マケドニア

に分かれています。

さらに、セルビアから

自治州のコソボが2008年に独立宣言をし、
110カ国あまりがそれを認めていますが、
セルビアなど認めていない国もあります。

 

これだけでも、ついていけなくなります。

実際には、

さらにこれ以外の少数の異なる「民族」がおり、
 

つまりこれくらい複雑な地域であることは、
この当時も変わらず、
 

しかもこれらの国々それぞれが
列強との利害関係で

結びついていました。
 
また、東には弱体化したオスマン帝国が

ありました。


北側には

オーストリア・ハンガリー帝国と接しており、
 

西には

イタリアが位置しています。

ロシアは、何度も南下政策を試みては、
英仏などと対立して

阻まれてきたところでもあります。
 
これに、ドイツが

3B政策でベルリンをバグダッド経由で
イスタンブール(ビザンチウム)まで
鉄道敷設権をオスマン帝国に認めさせたことで、
ドイツ イギリス
 

地図を見れば一目なように
イギリスの3C政策でインドルートと

軋轢になるのは必至です。

 

日本が「韓国併合」に苦慮している頃、

ヨーロッパも

「火薬庫」の導火線に火がつきそうでした。
 

まさにバルカン半島は、

「ヨーロッパの火薬庫」でした。

 

世界史の暗記と考えると

混乱の局地ですが、

 

現実には、こうした多様な民族が

狭い土地で隣同士なのが、

ヨーロッパの現実

ということになります。

 

ここまでおつきあいいただきました。

ありがとうございます。

 

 

 

 

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