我が祖父母たちは侵略者だったか

 

日本の近・現代史は、

帝国主義の荒海に投げ出された日本が

有色人種(あえてそう書きます)の国家の中で

唯一独立を維持して生存していくための

苦難の歴史です。

 

それは、私たち日本人の祖先

3~4世代でしょうが、

その苦闘の歴史でもあります。

 

その近・現代史は、

認識に大きなギャップがいまだにあります。

 

それは、侵略の歴史であったか

安全保障のための歴史であったか

ということでもあります。

 

戦後GHQは、

敗戦国日本を東京裁判で裁き、

7600冊あまりの本を焚書にしました。

 

しかも文字をローマ字化しようと

失敗し、漢字を当用漢字(現常用漢字)と

しました。

 

ですから、戦後の私たちは

戦前の思想が本当はどんなものであったか

知らないし、

読めなくなりました。

 

なぜそんなことまでGHQはやったのか、

考えてみてほしいのです。

 

日本は軍国主義で侵略国、

あるいは、

国民はだまされていた、

そう思っている人はたくさんいるはずです。

 

戦後、そう教えられてきたのがふつうです。

 

まずは、自分で調べてみることをお勧めします。

その上で、自分の頭で判断すること、

 

そうでないとたぶんこの国は、衰退するだけに

なる可能性が強いと思います。

 

これは、次世代のために絶対必要なことだ

と思います。

 

私があえて発信している理由の一つがそこにあります。

 

何度かこのブログで取り上げている

呉善花氏は、

韓国から日本へ来て自分が習った日本と

自分が住んでいる日本のギャップに

苦慮したと書いています。

 

とにかく、日本は「悪魔の国」と習った

と述べています。

私がいっているのではありません。

 

その「悪魔の国」に住む日本人は、

住んでみるとあまりにも親切で、

実に信頼に値する人たちだったと。

 

 

 

  改めて「韓国併合」の理由を考える


日本は自国の安全保障のために

韓国を併合した、

 

様々な点を調べていくうち、私は

そう思うようになりました。

 

それは、

自国の都合といえばそのとおりです。

しかし、本来自立し、
独立することが最大の願いでもあったことは

確かです。

 

そうしなければ、この弱肉強食の

帝国主義の時代に

日本も、韓国(朝鮮)も植民地にされることは

目に見えている。

 

その「植民地」は想像を絶する

人権も,いや人権どころか

粗末に扱われるモノのようで

聞くに堪えず、見るに堪えず です。

 

ときどき、戦争をするのだったら

降伏して平和に暮らした方がいいという

意見はあります。

 

そういう方は

『遠い夜明け』という映画がありますから

それを見てから改めて考えて見てください。

 

頭で考えるだけでなく、

恐らく限りなく現実に近い疑似体験が

できるはずです。

 

大航海時代のスペイン、ポルトガル

オランダ、

帝国主義時代のイギリス、フランス

さらにはドイツ、イタリア

そしてロシア、

ブルックス号の黒い積荷-黒人奴隷が荷物のように大量に積み込まれた時代

 

16世紀以来なにをやってきたか。

そういうことは過ぎ去った過去

なのでしょうか。

 

この時代はその延長にあります。

 

 

あえていわせていただければ、

戦争がいいといっているのではありません。

 

相手がいるのです。

こっちがその気はなくとも

襲ってきたらどうしますか、という問題です。

もちろん、

逃げられるならそれでいいと思います。

 

いずれ日本は、自分たちの念いが

何としても伝わらない、


それが、不可能だと知った時

やむなく併合となったのです。
 

他国が歴史や文化の異なる国を

指導するわけですから、
当然軋轢はあったと思います。

同じ日本内でも意見の対立はあるのです。
しかし、日本は、
自国の予算で朝鮮自立に向けて

努力したと思います。

 

自国の予算といっても

日露戦争後は、

国民にも重い負担をかけているし、

 

とても潤沢とはいえない予算です。

その上での決断でした。

台湾でも基本的には同じ方針で

同じ施策を行いました。
 

しかし、結果として

この二つの政府や国民の評価は、
天と地の差があります。
  
 

  統監府は朝鮮国内の差別を断ち切ろうとした

 

また、朝鮮人への日本人の差別も耳にします。

なかったかといえば、個人的にあったと思います。

しかし、その逆もあったと思います。

 

それ以上に

差別といえば、朝鮮の身分の差は激しく、
一割以下の両班(ヤンパン)という貴族階級が、
 

中(ちゆう)人(じん)、

常(じよう)人(じん)、

奴(ぬ)婢(ひ)、

白(ペク)丁(チヨン)   を支配していました。

日本が発見して普及させたハングル文字は、
李氏朝鮮4代世相が「訓民正音」
-民を訓(おし)える正しい音-だとして

普及をねらいましたが、
 

華夷秩序を重んじる両班から

漢字が唯一の文字で

それ以外は野蛮だとの批判や普及する機関もなく
長く埋もれていました。

 

日本人に朝鮮人を個人的に

差別する人がいたことと

 

朝鮮が国家として自ら下の身分を

差別してきたこととは

 

まるで次元が異なるはずです。
  
統監府は、1909(明治42)年、
戸籍制度を設け、
白丁など姓をもてなかった身分にも許可し、
かつ身分は登録しないこととしました。

これによって白丁らも
公立小学校に通えるようになりました。

すると両班は、激しい抗議デモを行いました。
しかし、教育の機会均等を説く日本政府によって

即座に鎮圧されています。
 

朝鮮王朝や両班は、
この帝国主義の世界情勢にあって

 

時勢や国政を顧みることもなく
国の将来についても全く考えることも

なかったようです。

日本国内にあっても
支援することに何の益もないという声も
小さくはなかったのです。

日本はそんなに悪いことをしているでしょうか。
  
1929(昭和4)年、アメリカの新聞記者は、
百年停滞した国が文明の恩恵を受けている。

朝鮮人の苦しみもあるだろうが、
日本は莫大な利益を与えていると

記事にしています。

 

私のいとこの父、伯父に当たりますが、

先の大戦で鉱山技師として朝鮮にいましたが、

 

ソ連の参戦で日本への帰国が不可能と悟ったとき

それを救い、日本への帰国の道を開いてくれたのが

 

朝鮮人だったといとこに話したことは前述しました。

どんなに感謝しても感謝しきれない。

 

そこには、日本人と朝鮮人の垣根をこえた

人間としての繋がりもあったのだと思います。

 

かつて

百濟と日本は、深い繋がりがありました。

 

次は、悪名高き創氏改名について

述べていきます。

 

今日も最後まで読んでいたただき、ありがとうございます。

 

このブログを書いている私が

とても興味を引かれました。↓

日本の歴史の根源にある風景

 

 

 

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