日本が「韓国併合」後にしたこと

 

日本では、最悪の事態を想定すると

煽るな。

根拠もなく人を怖がらせるな。

 

などといわれかねません。

 

しかし、一度起こってしまうと

こんどは責任を問いただし、

 

どうしてこんなになったんだ

となります。

 

自分も組織の中にいて

非常に苦しい時期が続いたことが

あります。

 

あえて自分の今の感覚をいうと

 

現在世界は、一触即発に近い状態

だと私は思っています。

 

その割には日本はずっと無防備です。

はっきりいえば、危機感が薄いと思います。

 

犠牲が出てから再発を防止します、

そう思うのは私だけでしょうか。

 

たくさんあるのですが、

その中でも今日一つだけあげると

移民の問題です。

 

特にヨーロッパは、

労働力の問題もあり受け入れてきました。

難民も受け入れてきました。

 

しかし、苦しんでいるのが

伝わってきます。

 

ギリシャに行ったとき

移民(以下難民も含め)が治安を悪化させている

と聞きました。

 

ドイツもフランスも

同様に問題を抱えています。

 

イギリスのスナク政権は、

ルワンダへ受け入れてもらう政策を

発表しました。

 

フランスやドイツも同様です。

 

イタリアの政府も自国尊重のようです。

これを新聞やテレビは「極右」政党

といっています。

 

どうして移民が出るかといえば、

自国で住むことができないということです。

 

それは全てではありませんが、

統治できていないこともあります。

 

それを考えると

この時代も状況が異なることはありますが、

現代に通じる事態が見えてきます。


このころの朝鮮の様子を

かいつまんで述べてみます。


あくまで私が様々な文献資料で

集めたものです。


 

  「日韓併合」時の韓国(朝鮮)はこうだった

 

韓国を併合した時点で、
大韓帝国は滅び、再び朝鮮となります。

 

再度いいますが、

私が調べたり、

見つけたりした文献に載っていた

その当時の

韓国(朝鮮)の様子そのままですので…


文盲率は94~96%ほど、
小学校の数は全国で40あったかなかったか

くらいでした。
(100はあったという人もいます。資料が一致することはほとんどありません。)

とにかく、歴史に出てくる数値はかなり幅があります。

もちろん、あるのにないというもの

なかったのにあったというもの

 

なので、

最後は自分の頭と心で判断するしかありません。

ほかに
イサベラバード著「朝鮮紀行」の中で出てくるのは
「不潔」「汚くてぬるぬるした河岸」
「商店もみすぼらしく…品々は悪趣味のきわみ」などで、
 

正直それ以上を

ここに記すのはやめにしたいと思います。

崔基鎬氏は昨日も紹介した著書

「漢民族を救った『日帝36年』の真実 日韓併合 歴史再検証」
の中で次のように述べています。
 

 

李朝500年にわたって支配されてきた併合前の朝鮮半島の姿を、私たちはあまりに知らなすぎる。21世紀のこの時代にあって、大多数の国民が飢餓に苦しむ専制独裁国家を思い起こすとよい。この国こそまさに李氏朝鮮のクローンである。戦後、日本時代の遺産をすべて壊し元の姿に戻っているにすぎない。


逆にいえば、そんな国を

「日本」と併合したということです。
 

ところが、日清戦争後は、

明らかに変わったとしています。
では、どう変わったか。

呉善花著「韓国併合の道」(文春新書)

 

 

崔基鎬著「漢民族を救った『日帝36年』の真実 歴史再検証 日韓併合」(祥伝社黄金文庫)

 

 

  日本が日本の国家予算で経営した朝鮮

 

日本は、自国の予算を持ち出しています。
つまり、朝鮮も日本と一体だということです。
これは、台湾についても同じです。

 

「日韓併合」「日韓合併」

ということばには、こうした意味合いも

あったのでしょう。

自国の予算を持ち出して

「植民地」経営をしている国は
ほかにあったでしょうか。

「植民地」とは、

自国の不足、資源や人を補って自国の足しにするところ、

簡単にいうと「植民地」は宗主国の消耗品、

別の言葉でいえば、収奪するところ。
そんな風にいえると思います。
 

日本の場合はその真逆です。


「植民地」のために

自国から予算や人を持ち出し

 

「植民地」のために

投資したり使ったりすることはあっても、

 

「植民地」から資源や現地人をただ同然でもちだし、

自国のために消費したり、消耗させたりすることは

ありません。

 

「植民地」とはなんでしょう。

ブログでも書きましたが

改めて考えて見てください。

 

日本が日本の予算で行ったことを
具体的に述べていきましょう。

朝鮮の発電所や鉄道などのインフラの整備、
存在しながら使用されてなかったハングル文字の普及や
義務教育の推進、土地登記など可能な限り、
独立に必要な支援。

これを以前の教科書は

土地制度の近代化を名目にして行われたと地調査事業では、多くの農民が所有権が明確ではないとして土地を奪われた。土地を奪われた農民は小作人になったり、満洲へいくことを余儀なくされたうえ、様々な社会的、経済的差別を受けた。日本の植民地支配はその後36年にわたって続いた。

どんなもんでしょう。

 

これを使って私は授業をしなければ

ならなかったわけです。

 

恐らく、多くの皆さんもそのように

習っていると思います。

 

実際にはどうであったか。


少なくとも朝鮮語は必須科目であったし、
宗教についても自由でした


近代工業を興すことで雇用の創出も行っています。
確かに、憲兵警察制度の導入は、
抗日運動を摘発・沈静化するためにも

あったと思いますが
治安の安定にも確実に寄与しています。

 

とにかく、違う文化、異なる歴史をもった

日本とは異なる国を統治することになったのです。

多少の軋轢は、あるはずです。

逆にだから、絶対やりたくないという意見も多数あったといいます。

 

高等教育にも力を注ぎ、
1924年京城帝国大学が創設

これは、

1928年台北帝大、

1931年大阪帝大、

1939年名古屋帝大
より早い。

 

崔基鎬氏は前同著で述べています。

韓国が今日のような高い教育レベルを保っているのは総督府時代があったからこそ

こうした事実は、調べてみて

初めて明らかになります。

 

つまり、一般的には知らないので

なかった事実となっています。

 

あしたはさらに具体的に
述べていきます。

今日も最後まで読んでいたただき、ありがとうございます。

 

 

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