「植民地」という考え方の多様性

 

いまだに、

日本の侵略とされていることが多い「韓国併合」。

 

私が習ったときは「日韓併合」だったと記憶しますが
現在の教科書は、私が見た範囲は「韓国併合」。

(「韓国併合」が先という資料もありました。)
 

そういえば、「支那事変」は、

「日中戦争」となっています。

なぜそうなのか、
このことだけでも、今日のブログはめいっぱいになるので
触れずに本題に入ります。

「植民地」とはなんなのか、ということです。
 

 

  植民地の明確な定義は不明

 

これが植民地である、という
すっきりと誰にでもそのとおりだという定義は
どうもないらしいのです。

実際、「植民地」で調べると
かなり多様な説明に出くわします。

しかし、中学校でも高校でも習います。
学校で教えています。

古代ギリシャやローマでも

植民市(地)はありました。

 

人口が増えて、ポリスでは抱えきれなくなった

人口をどこか別の土地でささえるため、

 

(都市)国家の住民を植民した、移住した

ということです。

 

その植民地(市)は
 

マッサリア(フランス・マルセイユ)

ネアポリス(イタリア・ナポリ)

シチリア島シラクサ

ビザンティオン

(ビザンティウム、ローマ都コンスタンティノープル、現トルコ・イスタンブール)

リビア キレネ など多数です。

 

コロンブスら大航海時代、近代以降に、

欧米諸国が、アジア、アフリカ、

ラテンアメリカ諸国を征服して支配し、
自国のための経済的な収奪を行いました。

スペインのコルテスによるアステカ文明、
ピサロによるインカ文明征服と虐殺、

銀の収奪はその典型です。

奴隷貿易も普通に行われ、
アフリカの犠牲者は1000万人を超える

ともいわれます。
 

アメリカも独立する前は、

イギリスの植民地でした。
 
しかし、おおむね、特に産業革命以降、
帝国主義の時代における
欧米各国が支配した国や地域

植民地ということが多いと思います。

そのほとんどは、

やはりアジア、アフリカ、

ラテンアメリカ諸国です。
 

具体的には、支配あるいは統治国の

原料供給市場、

労働市場、
そして商品市場となりました。

 

一言で言うと、自国が生きるための
経済的収奪の対象です。

 

人権もなかったでしょう。

安い労働力を使っての

鉱山資源の開発やプランテーションなど、
現在でもその影響は残っています。

さらには、一般的に統治能力がないとされ、
政治的支配の対象でもありました。

日本の場合も、

江戸末期の安政五カ国条約では

関税自主権がなく、
領事裁判権が認められていました。

インドの場合は、

イギリスによる統治も行われていました。
 

その他多くの植民地でも同等の状況でした。

共通しているのは、

本国の憲法や諸法令が適用されず、
法的にも従属している領土

ということです。
 
その結果として、

世界の84%はヨーロッパ人(白人)が支配し、
イギリスに至っては大英帝国として、
世界の1/4の土地を支配していた

とされています。
 
その背景には、

白人優位の人種差別的考え方があったことは、
否めません。

キリスト教とヨーロッパ文明が
有色人種の野蛮な文明を軽視して

優位に立ち、

その恩恵を施すことは神の使命だとの
おごった考えが一般的であったことは、
各項で述べてきたところです。

それは、第二次世界大戦が終わり、
アジア・アフリカ諸国に

独立の気運が高まるまで続きました。
 

 

  「合併」ではなく「併合」という新しい言葉

 

日本は、こうした中にあり、
植民地化されず独立を保つことができた

唯一のアジア・アフリカの国でした。

 

確かにアジアには

タイという独立国家がありました。

 

しかし、よく見ていきますと

 

イギリスとフランスの植民地の中間にあり

その緩衝地帯として

植民地でなかったという意味合いが強い

ことがわかります。

 

東南アジアは、タイを境に

東がフランス領

西がイギリス領

そしてフィリピンがアメリカ領

インドネシアがオランダ領

 

となっていました。

 

リベリアは、

アメリカの解放奴隷がつくった国。

アメリカの影響が強い国でした。

 

エチオピアは、

何度かイタリアの侵略を防ぎますが、

1935年、ついに支配されてしまいます。

 

やはり、真の意味で独立した

近代国家として立憲君主国

であった日本が

 

アジア・アフリカ唯一の独立国家

と言ってもよいのではないかと思います。

 

植民地は、基本的に近代国家においては

収奪の対象であった

これは間違いないと思います。

 

これは、現代の感覚ではわかりにくいのですが、

 

繰り返しますが、

有色人種は白人より劣っているという

人種差別的な(無意識な)思想、思考が

働いているので、

「植民地」は当たり前だったわけです。

 

日本の場合は、同じアジアの隣人

でした。


では、「日韓併合」については、

どのように考えたらよいのか。

中学校の教科書には、全ての教科を見てはいませんが、
「韓国の植民地化」という
項目のページがある教科書はあります。

この植民地化がこうした欧米列強と

同一と見るべきなのか、


植民地

 

「日韓併合」について、
可能な限り私の知り得た事実を

示して考えていきたいと思います。

最後に一つだけいうと、

韓国を併合することには反対、

韓国を併合することになんの利益もない。

こういう声の方が多かったとも

いわれています。

 

この段階で、

欧米のような海外に領土を得て

自国の生存を図るという「植民地」

としての考え方は、なかった

といっていいでしょう。

 

むしろ、多くの日本人が

移民となったことは、

特にブラジルに日系の方が多い

ことでもわかると思います。

 

結果として

 

「植民地」にすることは食い物にすること、

そうするつもりではないので

 

「合併」にしようだったのが

それでもきついから「併合」にしよう

となったようです。

今日も最後まで読んでいたただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

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