歴史的事実という困難さ

 

昨年の今頃の出来事です。

 

福島第一原子力発電所の処理水放出について

 

チャイナは、

日本すべての水産物の輸出を禁止していました。

 

何ともいえないのは、

 

日本の江戸川区のいろいろな施設に

聞くに堪えない罵声や嫌がらせの電話が

届いていたということです。

 

もうすっかり忘れている

出来事かもしれません。

 

電話番号の最初が86で

どこから発信なのかはわかるそうです。

 

2005年は、

小泉純一郎首相の靖國神社参拝に反発、

日本製品不買運動となりました。

 

次は、

スマホなどに必需なレアアース輸出を規制されて

困ったことがありました。

 

日本はレアアースをチャイナからの輸入に頼っていました。

それが、

2009年の86%が2015年は55%まで低下し、

 

チャイナのレアアース輸出は赤字となり、

結果として日本の勝利といわれました。

 

本当は、輸出規制して困るのは、

日本ではないことを

知っていただく必要があります。

 

とにかく、仲良くしようとしても

それを許さない国ですから

あまり深く入り込むのはどうでしょう。

 

こういうと、

それはチャイナが望んでいること、

そうさせないのは日本に全て原因がある

これが向こうの論理です。

 

本題は「韓国併合」ですが、

今も戦前も

日本のいわゆる厳しい地政学的位置は

かわりありません。

 

 

  国際法上認められていた韓国統治

 

日本は、
日露戦争途中の1904年「日韓議定書」において
軍略上土地を自由に使うこと」
 

8月の「日韓第1次協約」で外交顧問の派遣、
1905(明治38)年日露戦争後の

ポーツマス条約に前後して

アメリカとの間に

フィリピンの統治と韓国の統治を相互に認め合う
「桂・タフト協定」を結びます。

日英同盟も強化されますが、
その際韓国統治をイギリスも認めます

ポーツマス条約においては、
ロシアも日本の韓国への指導・監督権を認めます。

その上で「第2次日韓協約」を結び、
大韓帝国(1897~1910)は外交権を日本に譲渡し
日本の保護国となります。

この部分をある教科書は次のように記述しています。

日露戦争の最中から、韓国は、日本による植民地化の動きにさらされていきました。日本は、1905(明治38)年に韓国を保護国にして外交権をうばい、韓国に統監府を置きました。…1907年には皇帝も退位させられて、軍隊も解散させられました

私は、この教科書を使って

授業をしていました。

 

あるときから、この記述に疑問を持ち始め、

調べはじめて、今ここに記したような

「日韓議定書」や「日韓協約」などの

資料もつくって配布します。

 

資料を読み込んでいくと

教科書と資料の記述の違いに

中学生たちは気づきます。

 

どっちが正しいなどということは

私は一切言いません。

 

私の公的立場上、

教科書を否定はできません。

一方、教師が授業を行うため

文部科学省からでている学習指導要領には

…我が国の国土歴史に対する理解と愛情を育て,国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。

とあります。

…歴史と. 私たちとのつながり,現在と未来の日本や世界の在り方について,課題意識. をもって多面的多角的に考察,構想し,表現すること。

ともあります。

結論は、中学生たちの議論の行方に

任せます。

 

私はこの国に対する愛情を育てるために

多面的視覚から多角的視点で

考え、考えをまとめ、議論する

授業を重ねてきました。

 

退職した今も

もちろん、教育公務員として

守秘義務は守ります。

 

同時にこの国や次世代のために

必要なことは、ささやかながら

発信していくつもりです。

 

 

  日本が外交権を奪ったといえるのか

 

首都京城(漢城)に統監が設置され、
初代統監に伊藤博文が就任しました。

 

最も韓国併合に反対していた

のが伊藤博文です。


その後、

1907年に「ハーグ密使事件」がおきます。

これも、

少なくとも私がみている中学校の教科書には

掲載がありません。

 

つまり、誰も知りません。

知らないことはなかったことになるのが

歴史です。

 

これは、

オランダのハーグで行われた「万国平和会議」に
 

韓国皇帝の密使が各国代表に
日本のこれまでの横暴を訴えるという事件でした。

参加国は

一様にこれまでの日本との約束と立場を認めて
韓国は相手にされませんでした。

 

当たり前です。

今日のブログを読んでいただくだけで

韓国(朝鮮)の行為がどういうことか

おわかりいただけるはずです。

 

日本の段階を踏んだ、やはりどうしても

相手国を信用できないという絶望的な結論と

国際社会の同意があった、

 

これが結果としてのどうしても必要な

国家の安全保障上における

「韓国併合」であったと思います。

日本は韓国に対する信頼を失い、
伊藤博文は、「第3次日韓協約」において、

重要な法令や行政、
または官吏の人事に関わる事項は統監府の承認
または同意を必要とする、


いわゆる行政権の譲渡に至り、
同時に軍も解散となります。

  
伊藤博文は、あくまで韓国併合には反対で
韓国は自ら統治すべきだ

と主張していたのです。

 

これでも、日本が植民地化したと

いえるのでしょうか。

 

繰り返しますが、

ロシアの侵略に備えるには、

独立して近代国家になるしかない

だから日本も協力する

 

これが日本の主張です。

しかし、

 

この経緯でわかるように、

韓国(朝鮮)は、ことごとく

 

日本の意図を理解せず、

理解しようとせずのほうが適切か、

 

それだけではなく、

国際情勢や国際法を無視して

 

つまり、

日本と韓国(朝鮮)が対等の関係であることが

許されず、

 

日本が韓国(朝鮮)に指示する立場ではない

というたぶん中華思想の考え方で

 

国際関係にも支持を得ようとした

ということだと思います。
 

韓国(朝鮮)側から見ると

近代化の必要を訴える日本の隣国韓国への念いは、

韓国側には無礼としか見えなかった。

 

そんなところでしょう。
 

しかも、
この伊藤博文が、
1909(明治42)年に安重根によって

暗殺されます。

このあと日本は、朝鮮の近代化に尽くします。

しかし、そのことについて触れている教科書を

私は知りません。

(一つだけあるようですが、どの地域も採用しないようです。)

 

教科書に書いていなくても、

授業で取り上げて悪いわけではないので、

私は資料として生徒に見せます。

 

別にねつ造した

フェイク資料を使っているわけではないので、

生徒たちは、その違いに驚くことは

先に述べたとおりです。

 

今度はその日本の朝鮮での事業も

ブログで取り上げていきます。


本当に残念ですが、

 

最近やっと   

尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領により

日韓関係が変わってきていることは

若干の光明です。

 

今後も、戦前の日本と朝鮮との関係について

歴史的事実を明らかにしていきます。

      

 

今日も最後まで読んでいたただき、ありがとうございます。

 

 

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