歴史と伝統、最先端を併せ持つ希有な日本

 

日露戦争勝利の

40年前は、まだちょんまげで、

国を守るのはお上の仕事

と庶民は思っていました。

 

勝海舟が造った海軍伝習所

その師範でもあったオランダのカッテンデーケ

が、あまりに無防備な日本に来て

ある日本人に尋ねたら返ってきた答えが

上の台詞でした。

 

これは、

司馬遼太郎著 『明治という国家』

にある話です。

 

 

その取るに足らないといわれていた日本が、

大国ロシアを破ったことは、

世界史上を塗り替えたできごとであった

はずです。

 

が、そんな風に習ったという方は

多くはないと思います。

 

西暦1500年を超えて以来、

ヨーロッパがアジアを圧倒してきました。

 

世界の大国といわれた中華王朝も

19世紀に入るとその綻びはいかんともしがたい

ものとなります。

 

その中で唯一アジアの小国日本が

ヨーロッパのしかも陸軍大国に勝利した

わけです。

 

その背景には、

近代国家、国民国家形成を

急いできた名に政府の努力もありますが、

 

江戸時代の遺産も相当あったことを

ここに述べていきたいと思います。

 

 

  江戸時代の遺産で成り立っていた明治という時代

時代は少し、遡ります。  

明治政府初期の方針の一つでもある

「富国強兵」の一環として
「殖産興業」がありました。

「学制発布」、「地租改正」も皆関連事項です。
近代における独立国家として
 

欧米列強と肩を並べる力がなければ、
帝国主義の時代にあっては

植民地化されるのは、

火を見るより明らかです。

 

しかも、いずれ述べていきますが、

人種差別が当たり前の時代です。

帝国主義のこの時代、
明確な国家としての目標がありました。

それは「条約改正」
不平等条約を改正することです。

そのためには

そのためにはとは
植民地にされないためにも、

不平等条約を改正するためにも
ということですが、

「国民国家」としての質と

それに伴う国力が必要です。
 

そういう意味では、

識字率など教育面においても、
 

すでにマニュファクチュアが

起こっていたという点、

さらには天皇を中心とした中央集権システムを
復活させることができた点でも

土台はできていました。

司馬遼太郎氏の言葉を借りると、

明治は江戸の遺産で成り立っていた

ということになります。
 
江戸末期の通商条約で

生糸や茶の輸出が激増して
品不足になります。

当時は、イギリスが貿易相手国として第一位でした。

毛織物は高級品として、
また産業革命後の生産物として

綿織物が輸入されました。
 

 

  日清・日露戦争の背景にあった産業の発展

 

渋沢栄一(すでに歴史的人物といえるので敬称略)は、
銀行を設立して

資金の調達の利便性を高めるとともに、
 

この綿織物の国産化を目指して
1883年に大阪紡績会社を設立しました。

紡績ですから、

まず綿糸の生産から始めたわけです。
 

原料の綿花は国産では不足で、
清国さらにはインドから輸入しました。

機械はイギリス産を使用しました。
国は、日本郵船会社を設立して

国際航路を開いたり、
 

輸入する綿花や輸出する綿糸を

無税にしたりして後押ししました。

生産は1年目から黒字となり、
綿糸の生産は
1890年代に入ると

国内生産が輸入を上回るようになります。
 

そして、日清戦争後には、

清国に向けての輸出が増加し、
1897年には、綿糸の輸出量が輸入量を超えます。

日本の資本主義は
欧米の資本主義とは明らかに差別化されます。
 

それは、

渋沢栄一らが築いた

資本主義の理念にあります。

資本主義は、

利潤の追求にあることは学校でも習います。
 

利潤を得るということは、

一方では損をするということになります。
 

いわばその資本主義の化け物が「帝国主義」です。
つまり、帝国主義は「収奪」そのもの

といっていいと思います。

わかりやすくいえば、

欧米だけが利益を得ようとすると
アジア・アフリカは奪われる=収奪されるだけになります。

 

今も帝国主義の時代

といわれることもあります。

 

ただし、19世紀から20世紀初頭にかけての

欧米国家がアジア・アフリカ諸国を

収奪するのではなく、

 

巨大多国籍企業、

藤井厳喜氏は無国籍企業と呼んでいます

が、国家の垣根を越えて巨大な利益を得ている

 

つまり、グローバリズム

という言い方をしています。

 

いわば、むき出しの資本主義

儲けさえすれば、いい

結果としてそう見ているのが一般的です。


しかし、渋沢栄一は、

「論語と算盤」の中で
 

「論語と算盤は一致すべきである」

と明言しています。
 

ここに西欧型資本主義と日本型資本主義の

大きな違いがあります。

 

その産業基盤があったからこそ、

日清戦争も

日露戦争も

世界の予想を覆す結果となった

一つの要因であったと思います。

 

この帝国主義の時代、

欧米諸国、列強が

植民地を争奪し合っていた頃


日本が植民地を求めて

海外に侵略しようなんて魂胆は

さらさらありませんでした。

 

相手が奪いに来るから

勘弁してくれ、生きていくためには

しょうがねえ、

と戦った戦争であったことは

これまでも述べてきました。


いってみれば
西欧型資本主義は「奪い合い社会」
日本型資本主義は「おすそ分け社会」
でした。

具体的にいえば、競争社会とはいえない
助け合い、磨き合い、高め合い社会で
 

それは、昭和のつい最近まで

いきていました。

 

終身雇用、年功序列の時代がまだ生きて、

その時は日本経済は万全だったのです。 

 

1990年代、

バブル経済が崩壊して

グローバリズムと新自由主義は、

この日本型資本主義を津波のように

のみ込んでいきました。

 

残ったのは,地方のシャッター街

そして格差社会

だったのではないでしょうか。

 

時代は、20世紀に入ったばかりの頃の

話でした。ここから続けます。
 
 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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