ロシアとイギリスの代理戦争といわれても…

現在、アップしているのは、

昨年のブログのバージョンアップ版です。

 

「世界史の中の日本」を

原始・古代・中世・近世と述べてきました。

近代・現代とつなげていきたいと思っています。

 

 

  相手がそのつもりであっても戦争は避けられるか

 

いわばロシアとイギリスの

代理戦争であった日露戦争ですが、
 

この戦争を避けることはもはや困難であったと
日本は判断したと思います。

 

代理戦争かも知れませんが、

日本が直面する大きなリスクでもあった

と思います。

戦争は、

特に近代日本を見ていくと感じることがあります。
戦争は絶対避けたいが、

相手がいるということです。

 

私が高校生・大学生の頃までは

日清戦争で賠償金を得て

大陸へ帝国主義の道を歩み始めた

 

という歴史観だったと思いますが、

それは政府としては絶対ないでしょう。

 

第一戦うためのお金がなくて、

しかも勝てる保障はどこにもありません。

 

むしろ
よくたとえとして聞く次のような話の方が

この場合も当てはまるでしょう。


玄関先で刃物やそれ以上のものをもって
それを振り回して歩いている相手がいるとき

こちらが戸締まりをしたり
場合によっては身を守るために必要なものを
準備するのが普通だと思います。

あるいは、警察に連絡も必要でしょう。

 

しかし、今度はこれに対しては、


それを過剰な反応は相手を刺激するだけとか
玄関を開けて話し合って解決すべきだ
という論理があります。

もっともそれができていれば、

近代に戦争はありえません。

当時、すでに日本国内では、

産業革命が進行し、
日露戦争に備えて、

1901年、八幡製鉄所も完成していました。

ロシア・フランス・ドイツの
三国干渉以来「臥薪嘗胆」と
国民の多くは開戦支持でしたが、
 

大国ロシアを相手にするのは、

相当な困難なことであることは、

繰り返しますが、
政府が一番よく知っていることでした。
 

日本は有利になった段階で終えるという目標を
明確にして開戦に至ります。
 

 

  日露戦争を回避することはできたか

 

ロシアは、その間にも満洲におり、
さらに1903年には韓国の竜岩補を租借して、
 

鴨緑江を越えて旅順に

極東総督府を置きました。

 

旅順とは、ロシアが日本に清国に返還を迫った

遼東半島にあります。

 

清国内の日本近隣にロシアの基地がある

ということです。


日露戦争

明治天皇は和平を望んでおりましたが、
ロシアの軍備増強は、

止まりませんでした。

シベリア鉄道が完成すれば、
武器や兵士が大量に輸送されます。
 

ロシアにとっては、

極東のウラジオストクは確保していましたが、
冬期間は凍結してしまいます。

そのためにも不凍港は

悲願であったということでしょう。

 

ロシアは、

2014年にクリミア半島を併合しました。

 

1853年(~56)のクリミア戦争で、

イギリス・フランス・トルコなど連合軍に

敗れた歴史があります。

クリミア半島

 

 

日露戦争で敗れたロシアは、

1945年8月8日日ソ中立条約を一方的に破棄して

北海道に迫りました。

 

第二次世界大戦終戦後、

北方4島を占領しています。
 

その日露戦争が1904年に始まりました。
 

日本は、シベリア鉄道開通前、
バルチック艦隊が朝鮮半島に到着する前に、
旅順のロシアの要塞を占領しなければ、

勝つことは不可能でした。

 

負けるということは、

基本的に国が滅びることです。

 

滅びるとは、今ある生活も自由もない

ということです。

 

では、もう一度考えて

この時代

戦争以外に解決の道はあったでしょうか。

 

この時日本は、8万4千人の死者を出しています。

日清戦争の時は、2万人といわれます。

 

ただこの時代、戦争は国内に及んでいません。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

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