戦前・戦後日本の位置は変わらない

 

戦前も戦後も日本の位置は変わりありません。

これには二つ意味があります。

 

一つは、当たり前ですが

地理的な位置は変わらないということです。

 

二つ目は、

地政学的に日本は、常に危険な位置にいる

ということです。

 

最悪なことを想定すると

不安を煽るな

そんなこといってそうなったらどうするんだ

 

などといわれることがあります。

 

怖いからやめて!!

といわれたこともあります。

 

自分も管理職として

多数の人の命を守る義務がありました。

その時は、常に最悪を想定します。

そして、最善を尽くします。

 

あとで笑われても

あとで悲惨で取り返しつかなくなるより

遙かにリスクはありません。注意

 

地政学的にとは、

東アジアから日本がなくなったら

あるいは、アメリカの太平洋側に

日本があったら

 

と考えるとピンと来ると思います。

アメリカは、ハワイ、グアム・サイパン

フィリピンとその勢力を拡大してきました。

 

チャイナの前には日本があります。

戦前はそれは、ロシアでした。

 

また、マッカーサーが

朝鮮戦争時に述べているわけです。

 

日本がどういう位置にあるか

よくわかった。

 

そしてこうもいっています。

日本の敗北によってその代わりを

アメリカが100年担うことになる。

 

事実そうなりました。

ベトナム戦争一つあげても

わかると思います。

 

そして今、日本のEEZあたりに

ミサイルや船舶がやってきています。

 

戦前の日本は、

危機を正面から見据える力はあったと

思います。

 

今は…

 

  日清・日露戦争後日本にやってきた清国留学生

 

世界は、どこにあるのかわからない

日本がロシアと戦うことに

悲観的でした。

 

しかし、

日本は日露戦争に勝利しました。
といっても本当に薄氷を踏むような勝利でした。

 

この時日本が借金をした金額を完納したのは

諸説はありますが、なんと1986年。

つい最近です。

しかし、国民はそんなことは知らず、
日本政府を批判、日比谷で暴動を起こし、
小村寿太郎を自宅までおそい、けがをさせました。
世の中はそんな雰囲気のようです。
 
日本はロシアのポーツマス条約締結後、
清は日本と日清条約を結んでいます。
それは、日本がロシアから譲り受けた権利を

確認するためのものです。

とにかく、すでにこの頃からというより、
常にチャイナの歴史上、

簡単にいうと約束は守ってくれない
失礼ながら中華民国建国後もそうでした。

言い分は簡単です。
それは、前の国がやったこと、自分たちは知らない。
そういいながら歴史は、6000年といいます。
私が高校の時は3500年でした。

実は、清国は日清戦争後に

多くの留学生を日本に送っています。
作家の魯迅もその中の一人です。

同じ頃、康有為らが、

日清戦争の敗北に衝撃を受け、
 

日本の明治維新に倣って

清国を立憲君主制にしようと
改革に乗り出そうとします。

この「戊戌(ぼじゆつ)の変法」を
時の皇帝である光緒帝に提言して

受け入れられます。

しかし、先の咸豊帝(かんぽうてい)の后で

実権を握っている西太后に反対され、
日本に亡命を余儀なくされます。

一方で清国は、1905年になり、
それまで長い歴史のある科挙試験を廃止し、
留学生たちを官吏に登用し始めました。

かつては学問をした高学歴で難関大学を出た人たちは
学問をしてきたのか、言動の背中に国家が見えました。

いわゆる倫理や徳も備えた学識だったかもしれません。

最近の日本の入試を見ていると

学力とは単なる偏差値の高い科挙のような
ただ超難関だが

 

社会のために

役に立たない試験になりつつあるのでは
と心配になります。

 

実際日本は悪くなっているのではと
皆感じていることでしょう。
少なくともこの30年よくなったと思う国民は
どれくらいいるのでしょう。

 

悪くしてきた中の一つに「(日本の)歴史」

があると思います。

しっかりと歴史の見直しが必要です。

 

 

  日露戦争の時、戦場だった清は…

 

ところで、

日露戦争は清国内満洲で行われました。

 

行って見れば、当事者
清国は「中立」を宣言しています。

これに対して、

日露戦争後に日本に来た清国留学生たちは、
日本に皆感謝したということを

宮脇淳子氏は著作で述べられています。

 

 

 

 

この事実を、宮脇淳子氏の著書で

私は初めて知りました。

つまり、日本がここで戦っていなければ、

清国は
そのままロシア領だったということです。


同じく朝鮮もロシア領だったろうと

宮脇淳子氏は述べています。

 

1899年の義和団の乱で、

清王朝はこの乱を列強排除に利用し、

列強には義和団鎮圧に利用しようとしました。

 

「夷を以て夷を制す」といういつもの

作戦です。

 

義和団は鎮圧されましたが、

ロシア軍は清国(満洲)に残りました。

 

日本は危機感を強め、

結果として日露戦争に至りました。

 

それは、自国の土地に対して何もできず、
日本人の20万人という死傷者と

日本の巨額な債務によって
 

今の中国東北部があるということを

当時の清国人たちは、
認めていたということになります。

それにしても、こういう話は伝わってきません。

 

貧困ながらに孫文らのため、革命のために

尽くした宮崎 滔天。
 

実業家である梅屋庄吉は、孫文を支援し、
一兆円とも二兆円ともいわれる支援をしています。
しかも、

その事実は本人の梅屋庄吉により内密にされてきました。

日本は
1979年から
2010年日本が中国にGDPで2位に抜かれても
2022年3月に到るまで、
 

政府開発援助(ODA)を
約3兆6600億円援助してきました。

 

日本人も忘れているか知らないかも知れません。

お隣の国がこのことで日本に感謝してきた
というご存じの方は教えてください。

 

日本は、隣の国だし、友人だと心から思い、

尽くしてきたことも事実です。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

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