日露戦争前夜の世界情勢

19世紀末期、

すでに統治能力を失っていた

「眠れる獅子」清国は、

「夷を以て夷を制す」というやり方、

 

つまり、外国の力を利用し

自国は漁夫の利を得る外交方針を

繰り返していました。

 

しかし、次第に清国は

列強の餌食となっていきます。

 

特にロシアが義和団の乱を機会に

満州を占領、朝鮮半島に鉄道を

敷設しようとします。

 

こうした状況に日本は、

対岸の火事と見るわけには

いきませんでした。

 

 

  半島国家という苦難

 

今、「一帯一路」という政策があります。

私が思い出してしまうのは

 

高校の世界史で習った

イギリスは3C政策

ドイツは3B政策という

いずれも3都市を鉄道中心に結ぶ計画。

 

イギリス ドイツ

 

実は、日清戦争中に、
朝鮮の鉄道である

 

京釜(けいふ)線と京仁(けいじん)線

敷設優先権が日本に

付与されることになりました。

ところが、
三国干渉を知った閔妃が

ロシアと繋がっていきます。


司馬遼太郎氏も述べています。
半島国家は常にその隣の大国に悩まされると。
 

例えば、

先日紹介したギリシャは、

ローマを始め、オスマントルコ、

オーストリア・ハンガリー帝国など次々大国に。


フィンランドはいうまでもなくロシアに。
ただ、フィンランドは

朝鮮とかなりその対応は異なります。

いずれ朝鮮は、

あるときはチャイナ、

あるときはロシアと
 

事大主義で大国を頼ってきました。

半島国家は生き残りに必死です。

1895年、これに怒った日本の三浦梧楼公使が
閔妃を殺害してしまいます。
 

これが、
さらに朝鮮の親ロシア派の勢力を

強める結果となりました。

夫の高宗は、ロシア公使館に逃亡した上、
今度は親日改革派を殺害しました。

ロシアは、
日本が朝鮮と仮契約していた

京仁線の敷設権を反故にし、
 

線路の幅である標準軌を

シベリア鉄道と同じ軌幅に変更しました。

つまり、

シベリア鉄道経由で朝鮮半島先端の釜山まで
直通になるということです。


ロシアが何を考えているかわからない方がおかしい
というくらいのやり方です。
 
しかし、

国際入札において

朝鮮は資金がありませんでした。
 

しかもロシアが使用する鉄道です。


これに決着をつけたのは、渋沢栄一でした。

結局渋沢栄一が資金を出して、
全て標準軌として完成するに至りました
(宮脇淳子著「どの教科書にも書かれていない日本人のための世界史」(KADOKAWA))。
 

 


1897年、高宗はロシア公使館から王宮に戻り、
下関条約で朝鮮は、

独立国として認められたことを示す意図もあり、
国号を「大韓民国」として自ら国王ではなく皇帝としました。

ということは、
高宗は独立して

「皇帝」まで名乗ることができたことを喜び、
日本に感謝していたのかと思うと

そうではありませんでした。
 


 
上のマンガはビゴー作、

もう一度この関係をマンガでおさらい

左のちょんまげが日本

右は当時清国の服と辮髪

橋の上がロシア

釣り竿のえさにかかるのが朝鮮

 

  満州を占領、朝鮮半島に鉄道敷設を計画したロシア

 

1899年、

排外主義を掲げる秘密結社である義和団が
「扶清滅洋」を唱えて山東省で蜂起し、
翌年北京の各国公使館を包囲する(義和団事件)と
清国はそれを支持して列強に宣戦布告しました。

 

簡単にいうと、清朝は

あるときは外国の力を借りて

国内の反対勢力を押さえ、

 

あるときは、国内の勢力を借りて

外国を追い払う

ということです。

 

もっといえば、

清朝には国内を統治する力はもうない

ということになります。

 

義和団にしても、いわゆる私的な集団だ

日本では考えられない

「民間軍事会社」のようなものです。

 

軍に至っては、国家防衛の任にあたり、

シビリアンコントロール下に置く以外に

考えられません。

 

少なくとも義和団は,清国政府(清朝ではなくて)

の統制下にあったかというと

いうまでもありません。

 

義和団という「秘密結社」となっています。

秘密結社とは、どういう団体かわからないのに、

清国政府(清朝)がお墨付きをあげるわけです。


8か国軍(日・露・英・米・仏・独・墺洪・伊)が
55日間かけて北京を解放しました(北清事変)。

その後ロシアは、
それに呼応して満洲で発生した

外国人排斥の暴動が起きると、

東清鉄道保護を目的に

17万7000という大軍を派遣、
占領しました。

 

現代のロシアは、

この時代から進歩しているでしょうか。

その際、すさまじい殺戮が行われ、
その数はわかっていない

と宮脇淳子氏が述べています。

1900年には、朝鮮海峡の馬山浦(ばざんほ)に
ロシア極東艦隊の基地提供の要求もしています。
  
日本は、ロシアに大きな脅威を覚えたのは

いうまでもありません。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

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