日本の苦悩は終わらない

 

毎日のように

「海洋進出」

「力による国際秩序の変更」

 

といったニュースが聞こえてきます。

 

フィリピンの排他的経済水域に侵入

というニュースもありました。

 

常にこの国は

自国の正当性を主張し、悪いのは相手

とします。

 

これは、今に始まったことではなく

歴史的に「中華思想」だということです。

 

世界の中心に自国があり、

その周囲は蛮族だという思想です。

 

日清戦争の原因となった

この国に隣接する半島国家も

同じ思想でした。

 

つまり、日本は

周辺の蛮族の国なのです。

 

倭、卑弥呼という呼び名も

漢字としてよい意味ではない

というのもその理由です。

 

モンゴルを蒙古というのも同じです。

 

開国した日本は、

帝国主義の時代にあって

近隣アジア諸国を仲間にして

これに対抗しようとしていました。

 

 

  帝国主義と向き合わなければならなかった日本

 

この近代史にビゴーというフランス人が描いた

の漫画を見た記憶がある方もいるでしょう。

 

日本に長期に滞在して、最初の妻は日本人でした。

日本人や日本文化に愛着があったようですが、

日本政府や政治には辛辣でした。


 

 
おわかりだと思いますが、

左のちょんまげが日本 右は当時清国の服と辮髪

橋の上がロシア  釣り竿のえさにかかるのが朝鮮


日本は、清国や朝鮮を引き込もうとしましたが、

相手にされず、

日清戦争となりました。

 

日清戦争は、

列強のための代理戦争といってもよいものでした。
ビゴーの書いたマンガがそれを物語っています。
 

結果として、

列強は敗戦した清を思うがままにしてしまいました。

日清戦争段階でも「眠れる獅子」

といわれていたのが清国です。
 

日本は、

どこにあるかも世界中知っている人は

いなかったでしょう。

それが、

清が日本には歯が立たなかったことが

証明されてしまったわけです。

清国は、「食い物」にされていきます。


 アンリ・マイヤー
 

 

これも有名なアンリ・マイヤー作で、

テーブルの上のケーキ(パイ)がチャイナ(清国)

後ろで両手を挙げているのも清国

左からイギリスのビクトリア女王

角のヘルメットがドイツのヴイルヘルム2世

ロシアのニコライ2世

うしろに親しげにしているのがフランス

いちばん右が日本ですが、やっぱりチョンマゲ

アメリカがいないと思われるでしょうが

 

この頃はアメリカはまだ、

ハワイあたりだったと思います。

 

ハワイ併合、フィリピン植民地化後

アメリカが世界史に前面に出てくるのは、

列強に遅れて日露戦争後になります。

 

他のアフリカ、アジアは

ほぼすべて欧米列強の植民地です。

 

残っているのは東アジア

チャイナ、朝鮮、日本のみです。

 

ロシアは、フランスとドイツを誘い

「三国干渉」を行い、
 

下関条約で日本に割譲した

遼東半島を清国に返還するように求め、
日本はそれを受け入れました。

 ←赤いところが遼東半島

 

清国は日本への多額の賠償金もありましたので、

そのお金もお貸ししますということになり、


ロシアはその報酬として、
遼東半島の旅順・大連を、
フランスは広州湾、ドイツは膠洲湾を、
 

さらには三国干渉とは関わらなかったイギリスも
威海衛・九龍半島を99年間清国から租借します。

99年とは永遠と同義語だそうです。

ちなみに香港は、

1841年1月26日から1997年6月30日まで
イギリス統治下にありました。
 

九龍半島の南にある香港島と約235の島々を

ホンコンというそうです。

皮肉にも本国から切り離されていた時代の方が、

自由でよかったと
いう声が聞こえてくるのは、なぜなんでしょうか。

ロシアはすでに、
遼東半島北の沿海州までを

清国との2度の条約で割譲させており、
1891年にはウラジオストクにおいて、
ウラル山脈東のチェリャビンスク(のちモスクワ)までの
シベリア鉄道建設を始めていました。

また、ロシアは、遼東半島を清国から租借した時点で、
旅順には軍港を建設しています。

ちなみに、現在も沿海州にある都市、ウラジオストクは、
「東方を占領せよ」という意味だそうです。

さらに、1896年李鴻章はロシアに渡り、
共同で日本の防衛にあたるという

露清(秘密同盟)条約を結び、
 

現中国内モンゴル自治区フルンボイル市に属する満洲里から
沿海州に至る東清鉄道の敷設権を得ました。

これは、チタから清国内に入り、
真っ直ぐウラジオストクへ到達します。

それだけではなく、

東清鉄道の清国内のハルピンから旅順まで
到達する南部支線も1898年より建設が始まります。

つまり、その他路線を含めると
モスクワからシベリアを通って
直接日本海や渤海など日本近海に出ることができます。

普通こういうことを知ったら、

地図を見るだけで、
一般人でも強烈な危機感を感じるはずです。
 

  ヨーロッパともアジア諸国との異なる日本

 

ロシアは、フランス、ドイツと束になって
日本に、

 

戦利品の遼東半島は清国のものだろ、返してやれよ。
 

といったわけです。

日本にとっては、それはそうかもしれないけど
清国との約束でいいっていってたのに、
と思いつつ、君らはなんなの、とはいえない。
 

いったら最後、

どうなるかわからないというのがこの時代。

しょうがないから遼東半島を清国に返した。
すると、ご褒美だからロシアが借りるね。と。
 

じゃあおれたちも、とフランス、ドイツも。
これに関係なかったイギリスも。

日本にとって遼東半島、のちの満洲もそうですが、
ロシアのこれまでの領土拡張を考えれば、
ここは、日本の安全保障のためにどうしても確保したい。

別にほしいわけではなく、清国や朝鮮が
日本とともにアジアの国民国家としていっしょになって
このような列強の帝国主義に対抗してほしい

それが、日本だけでなく

清国や朝鮮にとってもいいはずだ、

日本はそう考えたはずです。

 

大陸の一部を得たとしても

その経営には多額の資金がいります。

 

もともと日本には、

他国を植民地にして資源や労働力を

自国の利益にしようなんて思考はありません。

 

西からはロシアが、

東からはアメリカが領土を拡張して

迫ってきていました。

 

このままでは、どちらかに飲み込まれる。

事実、アジア・アフリカ諸国はほとんど

すでに、イギリス・フランスの植民地に

なっていました。

 

結局、日本は朝鮮を併合せざるを得ず、

日本は、すべて日本の予算で

韓国(朝鮮)の近代化のためにつくしたわけです。

 

それは台湾も

第一次世界大戦後のドイツ領を譲り受けた

南太平洋上の島々も皆同じです。


ところが、清国も朝鮮も朱子学の国です。
日本を蛮国として相手にしていなかったわけです。

ここに日本の苦悩があり、その結果が
日清戦争であったと思います。

そのうえ、朝鮮だけでなく清国も事大主義といわれてきました。
つまり、強い方へ頼るわけです。
強い方とは、日本ではなくロシアです。

日本は、

日清戦争だけで終わるわけにいかなくなっていくわけです
ため息をついている暇もありません。
 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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