ロシアとはどんな国か

 

昨年発信したブログのバージョンアップ版を

お届けしています。

 

ロシアはウクライナへ侵攻し、

その戦いは今も続いています。

 

ロシアとは、いったいどんな国なのでしょうか。

 

日本人一人一人は違っても

日本人という国民性があります。

 

アメリカ人は皆人種が違っても

やっぱりアメリカ人としての特徴が

イギリス、フランス、ドイツ、イタリア

そしてロシアやチャイナ(中国)もそうです。

 

そして、その国民性、民族性は

現在も過去も歴史を持って

それほど変わるということはありません。

 

日清戦争後、ロシアはドイツとフランスを誘って

下関条約で日本が獲得した遼東半島を清へ帰せ

とよく知られる三国干渉をするわけです。

 

結果としてその遼東半島はロシアの手に渡り

1904年に日露戦争が起こったわけです。

 

そのロシアはどんな国か、まとめてみました。

 

 

  北半球半分はロシアで日本の60倍の面積


ロシアは、

地球の陸地の1/6を占め日本の約60倍です。
 

ほぼ東経180度に広がるほどの東西の幅で、
単純計算で時差は12時間、

東が朝だと西は夜です。

その1/3は永久凍土で

平均気温マイナス30度以下のところもあります。
 

北は北極海から容赦なく平原を寒波が襲い、
南は砂漠のイランやアフガニスタン方面から

熱風が吹きおろします。

といっても行ったことは一度もありませんが。
 
またロシアは、

13世紀~15世紀約250年の長い間、
モンゴル帝国に支配されていました。

やっとその支配から抜け出しモスクワ大公国が
他公国を併合し始めた15世紀末頃から
「ロシア」といわれるようになります。

しかし、モンゴル帝国の専制支配制度は、
そのままロシアに残ったといわれます。

ロシア帝国の皇帝は、ツァーリと呼ばれましたが、
それは、モンゴル帝国の汗(ハーン)を
ロシア人がツァーリと呼んだそのままだということです。

 

ツァーリは、ドイツのカイザーと同様

カエサル、シーザーが元にあるという説もあります。

あの、ローマのユリウス・カエサル

(ジュリアス・シーザー)のことです。

 

多くの人は理解しがたいのですが、

ロシアは本質的にモンゴルのいわば体質をもっている。

そういうのが歴史家の宮脇淳子氏です。

このことは、司馬遼太郎氏も述べています。

ロシアは、

ウラル山脈を越えて17世紀にはシベリアに到達し、
その後国土を拡大してきました。

アメリカが

西へとフロンティアを広げていったのに対し、
ロシアは東へと拡大していきました。

 

気がつくと思いますが、

その東へ拡大するロシアと

西へフロンティアを広げていったのがアメリカで

その間にあるのが小さい日本です。

 

最近、また地政学が論ぜられるようになってきて

そういう目で見ると

日本が感じる恐怖が理解できると思います。
ロシア
 

19世紀の前半には、アラスカも併合しているので、
アメリカとぶつかり合うことも考えられたと思いますが、
 

アラスカは、

1867年、実に格安でアメリカに売り渡されました。

買った当時は、アメリカの購買責任者は、
「巨大な保冷庫」を無駄に買ったと非難されましたが、

その後金鉱脈や石油が発見されました。
また、

現在でも国防上極めて重要な地域となっています。
 

 

  ロシアも日本に通商を求めてきた

 

19世紀ロシアは、

ユーラシア大陸の東に国土を拡大すると
ラッコの毛皮の貿易の取引と食糧補給地として

日本との交易を求めていました。

簡単にいえば、

それをヨーロッパに持ち帰るには
時間も距離もありすぎて重労働になり、
できれば東アジア近くで売ってしまいたい

ということです。

そこに格好の国、

日本を見つけたのです。
 

大黒屋光太夫ら漂流民を保護し、

日本を研究しては、
彼らを送り届けに来ながらその機会を伺いました。

 

江戸幕府は、鎖国を国是として、
相手にしなかったのは

これまで何度か触れました。

 

ロシアは、毛皮を日本に売り、

食糧を得ようとしたわけです。

 

シベリアの極寒地の食糧不足に

うってつけの国それが日本でした。

 

幸い日本は農業国だと知ったようです。

 

しかし、不幸だったのは

鎖国をしていたし、毛皮の需要はなかった

ということでしょう。

 

だいぶ前読んだ司馬遼太郎著「ロシアについて」(文系春秋)

だったと思いますが、

 

ロシアの首都モスクワは、

ヨーロッパ側にあります。

 

とはいってもかなり、

あるいはずいぶんと懐深い位置にある

ことも確かです。

 

ナポレオンもヒトラーもロシア(旧ソビエト)軍

にやられたのか、ロシアの風土にやられたのか

どうなのでしょう。

 

そのロシアには、

東に南北に走るウラル山脈があります。

 

地理的にはここまでをヨーロッパとしているようです。

欧露としての東限は、このウラル山脈でした。

 

ところが、16世紀末からロシアは

ヨーロッパと逆のアジアシベリア方面へ

領土を広げていきます。

 

司馬遼太郎氏はこのことをおもしろい表現で

著しています。そのまま引用します。

このことは、巨人の体にたとえるべきかもしれない。この巨人は左腕が巨大になった。シベリアは巨大な左腕にあたり、ウラル山脈がその左腕のつけ根をなす左肩にあたる。欧露という短い右腕をまわして長大な左腕のシベリアの痒みを掻こうとする場合、右腕の寸法が足りず、たえずむりな体型をとったり、不自然な運動をせざるをえなかった。

近代になって1904(明治37)年にできた

シベリア鉄道で左腕にとまった蚊を

かろうじて右手でたたくことができるようになった。

 

蚊とは日本軍であり、

日露戦争に何とか間に合ったので

日本軍を激しくたたくことができるようになった、

とつづいています。(前著)

 

ちなみに、日本は

北方領土を固有の領土

といっていますが、

 

ロシアにとって固有の領土とは

何のことか、理解しがたいのだそうです。

 

どういうことかといえば、

ロシアが最初に位置していたのは、

現在のウクライナであって

言うまでもなく、現在そこはウクライナです。

 

固有の領土など存在しない

ということのようです。

 

それは、戦争で獲得して得た土地

それが国土、との考えのようです。

 

改めていいます。

 

明治時代の日本がロシアが

朝鮮半島を支配すれば

日本の運命は尽きると考えたのは

実にリアルだったはずです。

 

現在も北海道の知床半島から

すぐ先には、北方領土があります。

 

1945年8月15日以後、自ら武器を取って

戦った日本人がいたのです。

 

こういうとすぐ不謹慎といわれそうですが、

 

北海道が現在日本の領土であることが

当たり前ではなく、防衛の結果であることを

多くの日本人に知っていただきたいと思います。

 

 

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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