グローバル化した世界になり始めて白人に勝利した日本②

 

昨年発信したブログのバージョンアップ版を

お届けしています。

 

日本は、「眠れる獅子」と恐れられた清国と

近代になり、

対外的な初めての戦争を行うことになり、

勝利しました。

 

それまで世界からは、

アジアの東の取るに足らない国

と思われていたといいます。

 

このことは、

日本の国際的地位を著しく向上させ、

領事裁判権を撤廃、

日英同盟にもつながりました。

 

帝国主義の世界、

いわば弱肉強食の世界で

 

しかもヨーロッパ列強の中

唯一アジアで自らの力で

独立を回復しつつあるの国、

それが日本でした。

 

 

  日露戦争のときの戦場はどこの国だったか

 

その後日本は、ロシアと戦うことになります。

陸軍大国ドイツでさえ、相手にはしたくない国

それがロシアの存在でした。

 

そして
日本は日露戦争に勝利しました。
といっても本当に薄氷を踏むような勝利でした。

 

この時日本が借金をした金額を完納したのは

諸説はありますが、なんと1986年。

つい最近であったことを知りました。

 

ニュースにあったか記憶にありません。

しかし、国民は日本の国状を知らず、
日本政府を批判、日比谷で暴動を起こし、
小村寿太郎を自宅までおそい、けがをさせました。
世の中はそんな雰囲気のようです。
 
日本はロシアのポーツマス条約締結後、

あまり知られていませんが、
清は日本と日清条約を結んでいます。
 

それは、日本がロシアから譲り受けた権利を

確認するためのものです。

とにかく、すでにこの頃からというより、
常にチャイナの歴史上、

 

簡単にいうと約束は守ってくれない
失礼ながら中華民国建国後もそうでした。

言い分は簡単です。
それは、前の国がやったこと、自分たちは知らない。

 

そういいながら歴史は、6000年といいます。
私が高校の時は3500年でした。

実は、清国は日清戦争後に

多くの留学生を日本に送っています。
作家の魯迅もその中の一人です。

同じ頃、康有為らが、日清戦争の敗北に衝撃を受け、
日本の明治維新に倣って清国を立憲君主制にしようと
改革に乗り出そうとします。

この「戊戌(ぼじゆつ)の変法」を
時の皇帝である光緒帝に提言して受け入れられます。

しかし、先の咸豊帝(かんぽうてい)の后で

実権を握っている西太后に反対され、
日本に亡命を余儀なくされます。

一方で清国は、1905年になり、
それまで長い歴史のある科挙試験を廃止し、
留学生たちを官吏に登用し始めました。
 

最近の日本の入試を見ていると
学力とは単なる偏差値の高い科挙のような
ただ超難関だが社会のために

役に立たない試験になりつつあるのでは
と心配になります。

 

実際日本は、

経済だけではなく、治安も悪くなっているのではと
皆感じている人は多いと思います。


少なくともこの30年よくなったと思う国民は
どれくらいいるのでしょう。

 

悪くしてきた中の一つに「(日本の)歴史」

があると思います。

歪められた歴史です。

 

ところで、日露戦争というと、

日本海海戦

そして、203高地が有名ですが、

戦争が行われた場所がどこの国だったか

あまり知られてはいません。

 

 

  日露戦争の時、戦場だったのは清国領土

 

ところで、

日露戦争は清国内満洲で行われていました。

 

では、清国は

何をしていたのでしょう。


清国は「中立」を宣言しています。

これに対して、

日露戦争後に日本に来た清国留学生たちは、
日本に皆感謝したということを

宮脇淳子氏は著作で述べています。

 

 

 

 

こういう事実を、私は初めて知りました。

つまり、日本がここで戦っていなければ、

清国は、
そのままロシア領だったということです。

同じく朝鮮もロシア領だったろうと

宮脇淳子氏は述べています。

それは、自国の土地に対して何もできず、
日本人の20万人という死傷者と

日本の巨額な債務によって
 

今の中国東北部があるということを

当時の清国人たちは、
認めていたということになります。

それにしても、こういう話は伝わってきません。

 

 

「(朝鮮)半島は、日本の脇腹に突きつけられた短刀のようなもの」

といったのは、

来日して日本陸軍の近代化に貢献した

ドイツ人メッケルです。

 

つまり、朝鮮自体ではなく、

朝鮮半島が他国に支配されたときの状況を

表しているわけです。

 

他国とは、いうまでもありません。

 

三国干渉で、遼東半島を清国に返還することを要求し

清国に返還されるとロシアは

すぐ租借し、つまり自国で使い、

軍港を建設しました。

 

さらに朝鮮の内政に干渉し始めました。

この後どうなるかは、

日本で十分予測できたのです。

 

貧困ながらに孫文ら、

革命のために尽くした宮崎 滔天

という日本人がいます。
 

実業家である梅屋庄吉は、孫文を支援し、
一兆円とも二兆円ともいわれる支援をしています。
しかも、その事実は本人の梅屋庄吉により

内密にされてきました。

日本は
1979年から
2010年日本が中国にGDPで2位に抜かれても
2022年3月に到るまで、
 

政府開発援助(ODA)を
約3兆6600億円援助してきました。

 

日本人も忘れているか知らないかも知れません。

お隣の国がこのことで日本に感謝してきた
という話は、聞いたことがありません。

 

 

日本は、隣の国だし、友人だと心から思い、

尽くしてきたことも事実です。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

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