対等の関係ではあり得ない中華思想

昨年発信したブログのバージョンアップ版を

お届けしています。

 

清朝末期、イギリスとのアヘン戦争で敗れ

アロー号事件を発端に起こった第二次アヘン戦争

でイギリス・フランスに敗れ、

その後、ロシアも介入、

それでも眠れる獅子といわれていました。

 

「眠れる獅子」とはいうまでもなく清国のことですが、
この清国と戦争に至った経緯を説明するには

戻るようですが、

ここで李氏朝鮮について触れなければなりません。

 

いくつか繰り返しになることは、ありますが、
逆に全体像が見えてきます。

 

現在の日本がいまだに引きずっているのは、

侵略国家の汚名です。

 

今は沈静化していますが、

またなにかあるかごとに吹き出してきます。

 

開国せざるを得なくて開国した日本は

帝国主義の世界で翻弄されます。

 

それでも懸命にその世界の秩序に従うことで

不平等条約改正と独立国家維持を

果たしていきました。

 

ところが、戦後気がついたら

侵略国家といわれ続けている

わけです。

 

鬼畜米英と、一億火の玉となったが、

敗戦したら、自分たちは欺されていた

と手のひらを返したようになったと

山本七平氏は述べています。

 

 

なにがあったのか、なにがそうさせたのか、

日本の近代史を追っていきます。


 

  李氏朝鮮と日本

 

韓国併合となった1910年まで

途中大韓帝国となったことはありますが、

それまでは李氏朝鮮という国でした。


李氏朝鮮は、

高麗がモンゴルの支配から抜けた後、
1392年にできた王朝です。

一割以下の両班(ヤンパン)という貴族階級が、
中人(チユイン)、

常人、

奴婢、

白丁(ペクチヨン)

を支配していました。

階層は固定され、

奴婢と白丁には人権もないということです。

明治時代、

日本も旅行したことのあるイサベラバードは、
排泄物の散らばるソウル市中に驚いたといいます。

樽や車を作る技術もなくなり、
染料を買う生活費もなく

皆白い服を着ていたそうです。

識字率に至っては、

江戸時代の日本で男女で7割としても、
 

朝鮮や清国では、

恐らく1割にも満たないのではないか

といわれています。

そもそも、日本の軍人である元武士階級は、

文字を読めるどころか、
高い教養をもっていたのに対して、

日清戦争時の清国軍人で文字を読めたのは、
指揮官の李鴻章レベルであったといわれています。

 

江戸時代を支えた思想の柱は

朱子学であり、師弟親子兄弟姉妹

上下関係絶対の思想でもありました。

 

そもそも朱子学は、宋の時代に

軍事的に弱小で周囲の異民族侵入に

悩まされた宋で、自分たちが正当な王朝で

周囲は蛮族と、自らを正当化するための

思想です。

 

宋のあとの中華歴代王朝は、その思想を継ぎ、

中華王朝の支配下に入っていた李氏朝鮮も

その思想を受け継いでの両班支配でした。

 

江戸幕府もその思想を取り入れたわけですが、

日本は、明治維新によってその古い上着を

脱ぎ捨てていました。

 

何度か取り上げていますが、

司馬遼太郎氏の言葉をお借りすると

「朱子学が毒で、日本は皮膚くらいを侵されている程度だったが、

清朝、あるいは李氏朝鮮は、骨髄まで侵されている」

ということになります。

 

 

 

 

  朝鮮にとって日本は蛮族だった

 

1860年代になると欧米列強は、

朝鮮にも開国を迫る中、
朝鮮は攘夷を強めました。

日本は、近代国家に生まれ変わり、
日清修好条規により

清国と対等な関係をもったことで、
同じように朝鮮にもそれを求めたものの、

結局清国は

宗主国として朝鮮を支配する関係は変わらず、
そのため、日朝修好条規には、領事裁判権など

不平等な内容が盛り込まれたことは
以前触れたとおりです。

つまり、日本が、
親分(宗主国)の清国と対等の日清修好条規を結んでも
その清国の子分(属国)であった朝鮮と

対等の条約を結ぶことは
 

清国にとってそれは

清国と朝鮮が対等の関係を意味しますので
清国にとってそれはあり得ないわけです。
  
さらに、朝鮮の貴族階級である両班は、
日本政府と交渉する際、
その相手が旧武士階級であったことが

気に入らなかったといいます。

これも説明がいると思います。

繰り返しになりますが、
朝鮮も清国と同じように朱子学が国の柱です。
 

それは、中華思想ですからいわゆる華夷秩序でいうと
清国は確かに朝鮮よりは上だが、
清国から朝鮮より遠い日本は、

野蛮国であるとなります。
 

その上朝鮮の両班は貴族ですので、
日本の貴族でない武士は、

階級が下ということなのでしょう。

調べてみると、
両班は日本の貴族や武士のような身分

としている説明もありますが、
 

日本でいうと支配階級という意味では正しいでしょうが、
李氏朝鮮当時の両班にとって感覚的には

武士は決して同等ではありません。
 

といって、これも繰り返しになりますが、
日本の武士の教養レベルを考えても
両班より低いということはまずありまぜん。

韓国を併合したとき

日本は朝鮮に

日本の平仮名に当たるハングル文字があることを知り
20世紀になって初めて全国で普及を図りました。

9割の文盲に学校教育をすべく
国全体に日本の予算で小学校が設立されました。
 

これに猛反対したのが両班です。
 

もともと李氏朝鮮には文字はなく、

両班ら支配層は漢字を使用していました。
 

そこで李氏朝鮮四代世宗は、

ハングルを考案しました。
 

官僚から文字というのは漢字であって

それ以外は文字でないと大反対にあったそうです。
(普通に聞いているとよくわからないです。)
 

そこで世宗は、ハングルは
訓民正音なんだから、まあいいじゃないと

(漢字の素養がないものに発音を教える記号「民を訓(おし)える正しい音」の意)」


と強引に訓民正音の名でハングルを広めました。

 

しかし、
結局20世紀まで

根強い反対派により普及しなかったということです。

こういう話は、学校の授業では

たぶん出てきません。

 

ひたすら一方的に日本が朝鮮を支配し、

外交権を奪い、(教科書はそうなっている)

などと書いています。

 

韓国併合に至った経緯は、

これからも調べたことを述べていきます。

 

何度もいいますが、韓国併合は

やめるべきだという世論はあったし、

伊藤博文が反対でした。

 

それでも韓国を併合せざるを得なかった

しかも、日本の国家予算で

インフラ整備、教育制度を整え

 

その結果、「侵略国」となり、

いまだに「侵略」を背景に

様々な日本の汚点が指摘されてきました。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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