「フランス革命」と「明治維新」の背景はこれほどまでに異なる

ヨーロッパは、ローマ帝国が分裂したあと

東ローマ帝国の流れをくむロシア帝国、

西ローマ帝国の流れをくむ神聖ローマ帝国(ドイツ・オーストリア)

 

その神聖ローマ帝国が支配しようとしてできなかった

フランスやイタリア(国となるのは19世紀末)があります。

 

神聖ローマ帝国といっても名ばかりで

オーストリアやドイツ(プロシアなどの領邦国家)

 

オーストリアもドイツといえばドイツですが、

オーストリアはドイツではないというかもしれません。

要するに王家や貴族の土地で皆バラバラです。

 

イギリスは、フランスやオランダと関係が深く、

国同士で戦争もありました。

 

  革命は誰を幸せにしたのか


もともと中世のヨーロッパは、
ゲルマン民族の部族長がその家臣と主従関係を結び、
中小の多数の領主が土地を支配していました。
 

その領土を広げるために

様々な地域の領主と婚姻関係を結んでいきました。

例えば、フランスのブルボン王家も
ヨーロッパ中の王家と

婚姻関係を結ぶようになっていました。

中世から近世、

近代になって国王の絶対主義の時代となっても、
 

驚いたことに

領地は、まだらのように散らばっており、
支配権が入り組んでいて、
とても国境線など引ける状態ではなかったといいます。

 

この感覚は、「近代国家」が「国家」の常識

と考えている私には、

すぐさま頭には入ってきませんでした。

 

国境は、近代の国民国家となった段階で

その主権の及ぶ範囲が大きく国民や国家の利益に

関わるようになってできた概念だ

と考えてよいと思います。

 

この絶対王政の時代

ルイ16世の王妃であるマリーアントワネットの場合も、
オーストリアのハプスブルク家出身です。

 

国際結婚といえば国際結婚ですが、

王家同士あまり文化の違いもなく

戦国大名の政略結婚のようなもの

といえばいいのでしょうか。


実家は嫁に財産として土地を持たせ、
それがブルボン王家の領地となるわけです。
 
ルイ14世は、戦争をしては国境を広げていました。
ルイ15世(在位1715~1774)の頃になると財政は逼迫し、
ルイ16世(在位1774~1792)の時は、
アメリカの独立を支援したことが

さらなる財政困難を招きました.
ベルサイユ宮殿
ベルサイユ宮殿 庭園

 

王妃のマリーアントワネットは、
それとは関係なく宮廷生活に

贅沢を惜しまなかったのは有名です。

有能な財務総監ネッケルが、
財政改革を主張しても反発されるだけで、
ついには罷免されます。

 

国家=公という概念はまだないでしょう。

官僚も軍もすべて王の私財でしたから。

 

まさにルイ14世

「朕は国家なり」  

わたしが国そのものだというわけですから。
 

しかし、 
1789年、
前年の凶作による食料不足と物価高騰が

パリ市民の現実でした。

フランス革命が勃発します。
当時のフランスの人口は約2300万人でヨーロッパで最も多く、
革命の主体となった第三身分である平民は約2000万人でした。

革命は非常に激しいものとなり、
1793年には、王、王妃共に処刑される結果となりました。

革命派とパリ市民は、王の財産を管理しようとしましたが、
王領だった地方の人たちはそれに反発したといいます。

フランスと婚姻関係にあったヨーロッパ中の王家は
「パリ市民は国王の殺人者であり、
財産は親戚である自分たちが相続する権利がある」
として干渉して軍を派遣しようとしました。

宮脇淳子著「日本人が教えたい 新しい世界史」(徳間書店)

 

私たちは「革命」として
あたかも正義が不正を打ち負かした
華々しい輝かしい歴史的事実として習います。

しかし、見方によっては
実際には失敗すれば反乱。

 

ことばはよくないかもしれませんが、

 

やっていることはテロ。
 

これがロシア革命でも

目指すところは違っても

やっていることは同じだといっていい。
 

カネがからんできます。

革命派の内部対立がおこり、

さらに激しい殺戮が始まりました。
 

フランス革命では,王の財産を手にした市民たちが
今度はその奪い合いとなり
血なまぐさい恐怖政治がまかり通ったのは

事実としてあります。
 

  フランス革命と明治維新の担い手の違い

 

フランス革命の担い手は、江戸時代でいえば
農民や町人ということになります。
 

革命前、フランス人は、

一日に1ルーブル稼げばいいほうだった
といいます。

 

つまり年収300ルーブル。

これに対してルイ16世王妃マリーアントワネット。
衣装代だけでも年25万ルーブル

 

現在で6000万フラン×約100円で
ざっと計算しても900億円。まちがってないよな。
桁外れの貧富の差です。

 

松原久子著「奢れる白人と闘うための日本近代史」(文春文庫)

 

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」
という台詞はいったかいわないか有名ですが、

庶民にしてみれば、

感情が吹き出すのも無理がないのです。

では、明治維新の担い手はというと、
武士、しかも下級武士といってもいいと思います。

 

日本の人口は

江戸時代18世紀ですでに3,000万人を超えており

幕末では3,500万人を超えます。

鬼頭弘著「図説 人口で見る日本史」(PHP)

 

武士階級はそのうち、

10%未満せいぜい7%ともいわれており、

そのわずか1割未満が

日本を支配するエリート階級でした。

 

しかし、支配というより統治する役割を担い、

庶民に生活を保障しなければならない役割でした。

 

というより、江戸時代を支える農業人口は8割で

彼らがいないと、武士も生きてはいけません。

 

私が習った江戸時代は暗黒で

百姓は「生かさず殺さず」といういい方がなされていました。

 

しかし、島原の乱を初めとして

身に染みてわかってきたのは

百姓の生活を考えないと

武士の食い扶持も減るわけです。

 

年貢を搾り取るだけの悪代官は

むしろ幕府から罰せられたようです。

 

むしろ、江戸時代いろいろな意味で、

 

一番苦しいのは武士階級だったはずです。

 

考えて見ればわかることですが、

わずか人口1割も満たない武士階級だけで

国(藩)が260年統治されていた

ということに驚くはずです。

 

では、農民や町民はどうだったのか。

百姓一揆や打ち壊しは何だったのか

 

フランス革命と明治維新の大きな違い、

いろいろありますが、

 

これまで表だって書いている人がいたかわかりませんが、

私自身はまずその担い手の違いにある

と思っています。

 

フランス革命は、いわば被支配者層が主役。

不満爆発。

 

しかし、明治維新は

武士階級といういわば支配層なのです。

 

いってみれば、既得権益を捨てたようなものです。

 

どうしてそんなことをしたのか。

なんで「明治維新」で「革命」でないのか、

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

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