日米関係の始まりは…

 

先の戦争、アメリカはその地理的要因か

「太平洋戦争」といっています。

 

日本は開戦時、「大東亜戦争」といい、

昭和一桁生まれの母もよく

「大東亜戦争」といっていました。

 

しかし、「大東亜戦争」は、戦後タブー化しています。

教科書もNHKニュースも普通に「太平洋戦争」といい、

「大東亜戦争」は使いません。

 

テストでだれかが「大東亜戦争」とかいてきたら…、

とは時々思いましたが、

ついぞありませんでした。

 

戦後、GHQが日本で極東国際軍事裁判(東京裁判)を

行う際に、満洲事変を起こした張本人である

病気で療養中の石原莞爾に事情を徴収した際

 

石原莞爾は言ったそうです。

「まずここに、ペリーをつれてこい。」

 

政治家ではなく軍人だった石原莞爾は、

東京裁判の戦犯ではありません。

 

1945年9月2日、日本は、
東京湾に停泊した戦艦ミズーリ号で
アメリカとの終戦における降伏文書調印を行いました。

日本全権団代表で天皇の名代が重光葵外相でした。
その重光葵外相が

二つの異なる星条旗が掲げられていることに

気づいたといいます。

一つは、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃の時、
ホワイトハウスにあった旗、

もう一つは星が31個の星条旗です。
その国旗は額に入っており、

この星条旗こそ、

1854年にマシュー・C・ペリー提督が再来日した際、
乗船していたポーハタン号に掲げられていた国旗でした。


ペリーの国旗
 

 

  アメリカはどうして日本にやってきたか

 

アメリカは日本に来る必要があったのでしょうか。

 

そして、陸づたいの東回り、

それとも太平洋航路という西回り

どっちでしょうか。

ペリー

ペリーが日本へたどった航路

 

これは、私がよく授業で用いた問いです。

もう一つついでにいうと、

 

みんな黒船に驚いたというけれど、

これまで相当数の西欧諸国の船が日本近海には

きていました。

そのなかでペリーだけが特異なのはどうしてなのか。

ペリーの航路を見ればおわかりのとおり、

 

わざわざ、大西洋を通り、危険な喜望峰を回って

アジアづたいでインド、マカオそして

日本に到達しています。

 

どうして、太平洋周りでこなかったのか

ということです。

 

太平洋というのは、その名の通り

波が「太平」な大海(洋)なのです。

 

ちなみに大西洋は

大きな「西」の大海(洋)。

 

「太」「大」とどちらも「たい」と読みますが、

意味が違います。

 

これも蛇足ですが、教師が

ひとこと教えるとテストで子供の間違いは

ほとんどなくなります。

 

アメリカは、大西洋岸の13州でイギリスから独立して、
星条旗の星を増やしながら、
1948年にフロンティアが西の太平洋海岸に達しました。

 

  アメリカが他のヨーロッパ諸国と異なったこと

 

アメリカのフロンティア、

簡単にいうと開拓・開発の最前線です。

 

西へ西へとフロンティアが広がっていったのが

アメリカ建国史の地図を見ていくと分かります。


 

下のブログのロシアとアメリカの国土拡大を見ると。

日本がどういう位置にあるかよくわかります。↓

 

向かう先は、明らかにアジアでした。

すでに、アメリカは、大西洋でのクジラを取り尽くし

太平洋で捕鯨をしていました。

 

アメリカの捕鯨は、
捕鯨船ボートの燃料や食料供給地として

日本を必要としていたわけです。

 

捕鯨は、この当時証明に使用するロウソクの油に

鯨の脳から大量のロウが取れたのだそうです。

 

アメリカ文学の傑作といわれるメルビルの「白鯨」

は有名です。↓

 

また、当時の清との貿易も望んでいました。

 

その中継基地としての日本の位置は、
なくてはならないものになりました。

さらに、イギリスに大幅に出遅れたアメリカは、
太平洋を通ってアジア市場に参入することをねらっていました。
 

それがのちにアメリカが主張する

「門戸開放・機会均等・領土保全」という主張です。

 

これが日本の外交を否定していくわけです。


荒れ狂う喜望峰を越えて航海していたイギリスは、
19世紀にはスエズ運河を開設するなど苦労の末に
アジアに到達します。

 

一方アメリカは、

イギリスとは別のルートで

清国への市場も達することができます。

いずれにしても、
日本で薪や石炭、食料を調達することは、
必要なことでした。
 

アメリカにすれば

日本はアジアの入り口になります。

 

まだ、その食糧や燃料の倉庫兼入り口が、

開かれていません。

 


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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